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2013年4月11日 (木)

小出裕章・明峰哲夫他の公開討論会記録『原発事故と農の復興』を読む

 福島原発事故の起こるずっと前から、原発と放射能の危険性を警告し、核と人間の共存を否定しつづけてきた原子力研究者がいます。他方、やはり原発事故のずっと前から、農薬や化学肥料、施設園芸や遠隔輸送等に過度に依存する現代農業を批判し、地域資源循環型の有機農業を模索し、実践する農業研究者と農民がいました。この原子力と農業の研究者はともに、資源・エネルギー多消費型の社会を批判し、農業の再生を希求してきました。前者の原子力研究者は小出裕章氏、そして後者の農業研究者・農民は、明峯哲夫・中島紀一・菅野正寿の3氏です。3・11から2年たとうとする今年の1月、両者は東京に集い、「原発事故と農の復興」について熱い討論を展開しました。

 小出裕章氏は、すでに無人となっている猛烈な放射能汚染地帯の外側にも、1㎡あたり6万ベクレルを超える汚染地域が広がっており、そこは、法律で規制された放射線管理区域の規準(4万ベクレル/㎡)を超えている、と指摘します。そして、放射線管理区域では、普通の人は立ち入り禁止で、入った人は、放射線被曝測定器を身につけ、水を飲んだり物を食べたりは出来ず、寝ることも出来ない。仕事が終わったら、すぐに出なければならない。小出氏は声を大にして主張します。
 「放射線管理区域の中で人間が生活するなんていうことは、私からみると到底許せません。なんとか逃げてほしい。そして、本当に一番やるべきことは、日本というこの国家がコミュニティごと、住んでいる人びとを移動させることだ」。

 この小出氏の問題提起に対して農業・農村サイドの3人は、農産物からの放射能検出値が予想よりも大幅に少なかったことを「福島の奇跡」と呼び、食べものからの被曝の可能性は非常に小さくなっていると評価しました。例えば米の場合、2012年産米の全袋検査(1千万袋余)の結果は、99.78%が測定限界値未満(25Bq/㎏)で、さらに細かな検出器での測定では、数ベクレル以下になっている。この「福島の奇跡」は、「土の力」とそれを引き出した「農人たちによる農耕の結果」だと評価し、このことを多くの国民に広く伝えていきたい、と主張します。つまり、福島の農産物を安心して食べてほしい、との訴えです。

 小出氏は、「土の力」を認めつつも、次ぎのように反論します。
 被曝は子どもに重大な影響がある。0歳の赤ん坊の場合、全年齢平均に比べて4倍も危険が大きい。原子力を選んだ責任と福島原発事故を起した責任のない子どもたちを、なんとしても被曝から守りたい。そのために子どもたちを、放射線管理区域の規準を超える汚染地帯から避難さすべきであり、なるべくきれいなものを食べさせるべきだ。
 小出氏はこうした原則論を語りながら、政府が一切の支援を拒否している中で、「逃げたいけれど逃げられない」人びとに思いを寄せ、彼らは「危険があることを承知でも、逃げられない。そういう苦悩のなかで・・・生きて・・・農作物を作っている」ことを、多くの人びとに理解して欲しいと訴えます。

 こうした汚染地帯で農業を営みつづける菅野正寿氏は、危険と避難のあいだで選択をせまられ、苦悩の決断を次ぎのように語ります。
 「逃げるのではなく、東和でいかに耕すか。放射能は降ったけれども、どうやってここで生きるか。・・・(つまり)逃げるという選択肢ではなく、ここで放射能とどう向き合うのか・・それが私の一番の課題でした」。

 有機農業を研究する明峯氏は、菅野氏のように「危険かもしれないけれど、逃げるわけにはいかない」という選択を、非常に重要な意味を持っていると指摘します。
 「逃げられない人たちが体外被曝の危険に自らを晒しながら、晒すことによって、福島の大地も、農業も守られている」。
 さらに、もうひとりの有機農業研究者の中島紀一氏は、次ぎのように語ります。
 「阿武隈の農民は一番自給的な、だから一番人間らしい暮らしをしている人たちです。その暮らしの意義を価値ある営みとして積極的に評価すべきだと思います。やむを得ずではなく、それが本来の暮らし方だから逃げない。・・・その土地で暮し続けるということには人類固有の価値があるということを、震災の経験をとおしてしっかり受け止めるべきではないか」。     
 中島発言の基礎には、比較的汚染度の低い場所がある、との認識があります。

 こうした農業サイドの発言を受けてなお、小出氏は、子どもの被曝の危険性を、危惧しつづけます。
 「農業を守るためにとどまる決断をするということは、子どももそこにとどめると決断することです。子どものいない農業はつぶれます。しかし、子どももとどまらせて農業を維持するという決断を親がしていいのかというと、私は躊躇があります」。

 一方で放射能の危険認識について、他方で農業の復興について、小出氏と農業サイド3氏との議論は熱くつづきます。反・脱原発への思いと政府・東電に対する責任追及と補償要求など多くの点で一致しながらも、放射能に対する危険認識について、絶対的と相対的な違いが乗り越えられません。従って、農業復興についても、楽観と悲観の違いが際立ちます。しかしこうした議論にかかわらず、現実は、多くの福島の農民たちが、逃げることなく福島の地にとどまって、農業復興にかけているのです。そして、子どもたちは放射能に被曝しつづけています。なによりも、こうした現実がある、ということを深く認識すべきだと思います。

 最後に、討論会場で質問表に書かれていた、ある福島の農民のメッセージを書き留めます。やや長文ですが、この日の討論会を締めくくるのに相応しい文章だと思います。

 「原発から100㎞のところで有機農業を営んでいる農民です。逃げるか・逃げないか、そこで食べものを生産してよいのか否か、放射能の危険と向き合うときに突き付けられる問題です。
 でも、もっと突き付けられるのは、原発がこのようにたくさんある国を許してきたことであり、また、第一次産業を軽んじてきた国に甘んじてきたことだと思いました。土地や地域を捨てて出ていけない暮らしと同時に、福島の自然に生かされてきた暮らしこそ、もっとも守るべき社会のありようであると気づかされました。簡単に捨て去れないことなのだ。守らなければならない社会のありようなのだとメッセージを発するためにも、この地で、自然の摂理に従って生き方を模索するしかないと、いま考えています」

(小出裕章・明峯哲夫ほか著『原発事故と農の復興』 コモンズ 2013/3/11発行)

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