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2013年5月20日 (月)

銅版画に記録された3つの戦争

 私たちは、戦争とその犠牲を記憶しつづけるために、兵士や住民の残した手記や詩集を手にし、戦争文学や歴史書を読みあさり、戦争を記念するモニュメントを訪れたりしました。いずれも時間をかけてじっくりと、戦争を記憶しつづける行為を行ってきました。そしてここに、銅版画に戦争の悲惨と残酷を刻みつづけた画家たちが、登場します。17世紀ロレーヌ公国の画家ジャック・カロ、19世紀スペインのフランシスコ・ゴヤ、そして20世紀の日本の浜田知明。強烈な印象を残した作品を紹介します。

Photo 浜田知明(1917~)の銅版画『初年兵哀歌・風景』(1952年)は、衝撃的な作品です。1940年、初年兵として中国大陸に派遣された浜田は、華北山西省にて作戦に従事し、戦場で見た光景をちり紙にスケッチし、戦後、銅版画として作品化しました。この作品には、「衣を剥ぎ取られ恥部を天に晒け出して転がされていた女たち・・・」と短い文章が添えられています。(浜田知明銅版画集『よみがえる風景』 求龍堂2007年刊より)
 この銅版画が衝撃的なのは、荒涼とした山西省の原野に転がる女性の死体だけではなく、そのはるか後方を、何事もなかったのように行軍しながら立ち去っていく日本軍の存在です。虫眼鏡でやっと視認できる兵士の数は11人。銃剣を肩に担いでいる様子が、みてとれます。シュールリアリズムの絵画のようですが、日中戦争時の日常はこうだった、と画家は銅版画に刻み付けたのです。「是が非でも訴えたいものだけを画面に残し、他の一切を切り捨てた」と浜田は記しています。『初年兵哀歌』シリーズは、1952~54年に15点発表されました。

Photo_3 2枚目の銅版画は、スペインの対仏独立戦争(1808~14年)を題材にしたゴヤ(1746~1828年)の『戦争の惨禍』(1863年出版)。この戦争は、従来の正規軍同士の戦闘から、住民を巻き込んだゲリラ戦を特徴としました。ナポレオンの軍隊の残虐行為とともに、ゲリラ側のフランス軍兵士や軍属、親仏派のスペイン人に対する暴虐も際立ちました。作品は、『戦争の惨禍』全85点のうち39番目の《立派なお手柄!死人を相手に!》。性器は切り落され、バラバラにされた首と四肢が、木の枝に吊り下げられています。
 堀田善衛は、ゴヤの『戦争の惨禍』について詳細な論評を加えるなかで、次のように語っています。「ナポレオンがスペインの百姓と下層人民によるゲリラと、ロシアの・・・軍隊と凍原の百姓たちのパルチザンによって叩き潰された象徴性が、・・・ベトナム人民の30年にわたるゲリラ戦争によって受けつがれ、そこでわれわれの国家単位の“現代”が終わることになってもらいたい・・という現代終焉願望が、この『戦争の惨禍』をくりかえし眺めていると私は自分のなかに澎湃として湧き起こって来てそれを押しとどめることは出来ない」(堀田善衛著『ゴヤ』 朝日文芸文庫より)。堀田の『ゴヤ』は、ベトナム戦争の最終局面(1973~76年)で『朝日ジャーナル』誌上に連載されていたもの。

Photo_6   堀田善衛のいう戦争主体としての近代国家が誕生したのは、全ヨーロッパが関与した30年戦争(1618~48年)の講和条約ウェストファリア条約によってでした。この条約によって、カトリックとプロテスタントによる宗教戦争は終結し、条約締結国は主権国家となって相互不可侵、内政不干渉を約束し、新しいヨーロッパの秩序が出来上がりました。その後の戦争は、こうした主権国家間の文字通り「主権」をかけた争いとなりました。
 3枚目の銅版画は、この30年戦争を生きた版画家ジャック・カロによって刻まれた、もうひとつの『戦争の惨禍』の「絞首刑」の場面です。手元の拡大鏡を使って観察してみます。
 水平に広がった大木の枝に、20を数える死体が、吊り下げられています。軍隊によって絞首刑にあった者たち。よれよれの衣服をまとい、素足のまま樹にぶら下がっています。義足の者が左右にひとりづつ。樹にかけた梯子の上段では、ひとりの男が兵士によって首にロープをかけられ、まもなく吊り下げられようとしています。その下段で神父が、左手に十字架を掲げて、その男に終油の秘蹟を授けています。梯子の下では、もうひとりの男が、神父に告解しています。絞首刑はまだ、執行中なのです。樹下の右側では、二人の男が、サイコロを転がしています。一方が囚人で他方が兵士のようです。まるで生死を賭けているかのようです。ロレーヌ公国の首都ナンシー生まれの銅版画家ジャック・カロの生涯を書いた成瀬駒男氏は、「絞首刑」の樹について、次のように書いています。
 「これは普通の樫ではない。これは明らかに、空中の死者たちからそのエキスを吸う人喰い樫だ。左右に伸びる枝は、滋養を空中にもとめる樹根なのである。」(成瀬駒男著『ルネサンスノ謝肉祭 ジャック・カロ』 小沢書店1991年刊)

 カロとゴヤの時代は、写真はありません。戦争の渦中にあった画家たちはおそらく、目の当たりにした戦争の惨禍を、銅版画によってより広くより多くの人びとに伝えたいと思った筈です。そうした空間的広がりは、歴史を超えて現代につながり、私たちはその作品をその時代の貴重な記録として鑑賞することができます。歴史書からは読み取りがたい具体性を、これら銅版画に発見することが出来ます。ゴヤの『戦争の惨禍』をくり返し見た堀田善衛に、吐き気を催させた具体性です。

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