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2013年8月19日 (月)

フランドルおよびアルザス、ロレーヌへの旅 -8-

ケール(7/26・金)

Img_9745  ストラスブール対岸の都市ケールを訪問。ライン河には、自動車道のヨーロッパ橋をはさんで、下流に鉄道橋があり、上流には自転車道と歩道が並行して走る吊橋が架かっていました。私たちは、この吊橋を歩いて渡りました。フランス側からは、若い男女がサイクリングをしながら渡っていきました。ドイツ側から来た親子連れは、橋の中央の休憩所で休んでいました。国境らしき目印には気がつきませんでした。ただ、吊橋の欄干の金網には、恋人たちの名前や日付を書いた錠前が、たくさんぶら下がっていました。写真は、ドイツ側にあった「邂逅」と題したモニュメント。

Img_9757 ライン河には荷を積んだ長い艀(はしけ)が下っていき、ヨーロッパ橋ではトラックや乗用車が、ひっきりなしに行き交っていました。フランス側の河岸は、大都市郊外の開発地域の様相で、高層住宅の建設とともに広大な公園の整備中でした。この公園の一角に、キャンピングカーが数台停まっていました。ドイツ側は、河沿いに遊歩道と緑地がきれいに整備されており、大きな木のしたで住民が、思い思いにくつろいでいました。閑静な住宅地にあった水路のような掘割に、コウホネの黄色の花が咲いていて驚きました。Img_9773 尾瀬でしか見たことのない花です。
 商店街の一角に小さな教会があり、その前の広場では、朝市が開かれていました。テントの中には、豊富な野菜や果物・花卉が並び、移動店舗のトラックでは、ソーセージやハム・肉類を売っていました。駐車場には、ドイツナンバーに並んでフランスナンバーの車が、数台停まっていました。広場のカフェーに入ると、市民がドイツ語のおしゃべりを楽しみながら、のんびり時間を過ごしていました。Img_9785近くで携帯電話で話す女性がいましたが、彼女はフランス語を使っていました。切手を買いにいった娘には、店員は英語で応対しました。ストラスブールとケールは、相互に通学や通勤、買物の圏内にあり、両市民の間の結婚も珍しくないとのこと。いま、ヨーロッパ連合(EU)内の国境は皆、こんな感じなのかなと理解しました。国家主権を大声で主張しあって無人島を奪い合っている東アジアの人びとにとって、EUの挑戦が示唆するところは余りにも大きい。帰路、再び住宅地に入ると、一軒の庭先にねむの木の赤い花が、咲いていました。

Img_9520_1  ストラスブールに戻り、ホテルの近くにあった歴史博物館にいってみました。中世の騎士たちの甲冑・武具の展示や主な歴史的事件の説明がされています。印刷機の発明者グーテンベルクについては、広い展示スペースと長い解説をつけて、その偉業を伝えています(写真は広場のグーテンベルク像)。
 「何故アルザスはフランスになったのか?」という説明プレートがありました。そこには、概略次のように書かれていました。「30年戦争以来の戦争やドイツなどの反仏同盟によって、ストラスブールに架かるライン橋の戦略的関心は高まった。Img_9590 また、傭兵部隊などの軍勢がアルザスを襲い民を苦しめた。そこでルイ14世は、平和条約や諸都市からの救援要請に応えて、フランスのアルザス併合を成し遂げた」。フランス王国が、神聖ローマ帝国に対する戦略的位置づけから、何としてもアルザスを手に入れたかった、という事情は捨象されています。また、アルザスやストラスブールの人びとが、必ずしもフランス併合を望んでいなかったことも、触れられていません。
Img_9611 ルネサンス期のオランダの人文主義者・エラスムスの書簡が、紹介されていました。1514年、ストラスブールを訪れたエラスムスは、ストラスブール市民に「ローマ人の規律、アテネ人の知恵、スパルタ人の自制心」を見出します。さらに、その政治や体制に「専制のない君主制、党派争いのない貴族制、混乱のない民主制、贅沢でない富、傲慢さのない幸福」を見て取りました。当時のヨーロッパの最高知性によるストラスブール観察記です。時代を超えて、ストラスブール市民にとっては、まことに快い言葉であるはずです。

Img_9886  7/27(土)

 ストラスブール最後の日、広大な面積を持つ「市民病院」の一角にあるワイン醸造所を訪ねました。地下室の細長い貯蔵庫には、直径2mほどの大樽が長々と並んでいました。その一番奥に、この貯蔵庫で最も古いと思われる樽が数個、厳重に鉄柵にかこまれて、「安置」されていました。そのうちの二つの樽にはそれぞれ、「1472」「1525」と記されています。Img_9904_1_2この年代は、ストラスブールが神聖ローマ帝国の下にありながら、自立的な都市共和国として最も繁栄していた時代です。ヴォージュ山脈の東麓で造られたワインと、イタリアからドイツを経由してフランドルに至るライン河の水運が、この繁栄を支えました。ストラスブールの地下室には、500年以上前に醸造されたワインが、今もなお静かに眠りつづけています。歴史が途切れずつづいていることを、実感します。
 

 

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