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2013年10月 5日 (土)

道普請の顛末

Img_6995_1  ここ西上州の里山は、実りの秋を迎えました。窓外の田圃では黄金色の稲穂が垂れ下がり、畑には白いソバの花が咲き乱れています。地区の用事で何軒かの農家を訪ねた家内は、栗と舞茸とジンジャーの花を、両手に抱えきれないほどいただいて、笑顔で帰ってきました。農業には縁のないわが家にも、実りの秋がやってきました。

Img_1100_1 このあたりの農家は、山間地にあって耕作面積は狭く、細切れの小さな田畑が、人里と山中のあちこちに散在しています。また、かつて養蚕や酪農を支えた桑畑や牧草地のほとんどが人里はなれた山中にあり、椎茸原木のコナラやクヌギの林も、おなじく山のなかです。これらの農用地と人里を結んでいるのが、里山に網の目状にめぐらされた、車一台がやっと通ることのできる狭い市道や農道です。こうした道路は、コンクリートで簡易舗装されていますが、現在、各所でひび割れや陥没、地下空洞化をおこし、あちこちに危険箇所をつくっています。

P1140576_1_2  2年ほど前、尾根伝いの道路ぎわに住むSさんから区長に、近くの市道が陥没の恐れがあるので修繕して欲しい、との要望があげられました。区の役員が現場をみたところ、山と谷にはさまれた道路の谷側のコンクリート舗装のしたが、深くえぐられて空洞となっていました。しかも谷の深さは、大人の背丈の倍以上あり、到底、地域の人びとによる修理は無理だと判断し、市の建設課に要請しました。それから2年、この春やっと、この危険箇所の工事が完了しました。Sさんが、山仕事の事故で亡くなったあとのことでした。

P1070756_1  昨年の初秋には、家の近くの農道の道普請を、農事組合の関係者が実施しました。やはり、陥没防止のための工事です。この農道は、人里にあって複数の人びとが使っており、地権者と利用者が共通であったことも幸いして、多くの関係者が道普請に参加しました。工事は、道路に沿ってパネルをはりそこに生コンを流し込む、という簡便なものでした。経費には、農事組合関連団体に交付された農水省の農業環境保全のための補助金があてられました。こちらの工事は、発起人のMさんが熱心に地権者や利用者に声をかけ、みずから率先して実行したため、発案から数ヶ月で完成し、上記の2年かかった役所工事と好対照となりました。

P1140596_1  しかし地元での道普請が、いつも早いというものではありません。やはり2年前に、Sさんの要望箇所から50mほどのところにある尾根筋の農道が、陥没の危険性があるということで、椎茸栽培農家のYさんから修繕要請がありました。こちらは、最大で高さ50㎝・奥行き40㎝の空洞が、長さ30mほどにわたってひろがっていました。この農道は、かつては野菜や椎茸を栽培する複数の人びとが利用していましたが、いま利用しているのはYさんのみ。また、YさんはMさんと違って、ただ区長に要望するだけで、みずから行動しょうとはしませんでした。だから、Yさんも要望のしっぱなし、区長も要望の聞きっぱなしで、2年が経ってしまいました。P1080519_1
 この春、区長となった私は、Yさんからの農道修繕要請について、前任者から引き継ぎを受けました。そこには、農事組合関連団体が主体となって、この道普請をすることになっていました。だからこの団体に再三、工事着工を要請しましたが、まったく動く気配がありません。これまで何度となく、現場の下見をしたにもかかわらず、動かない。一方、Yさんからは、前の区長と約束済みだ、と工事を促される。そこで見切り発車で、パネルと鉄パイプを購入し、あらためて着工を迫ったところ、「団体は降りる」と逆切れされてしまいました。仕方なく団体の代表に謝罪し、しばらく様子を見ることにしました。
 P1080518_1夏、旅先に家内から電話があり、情勢の変化を教えられました。しびれを切らしたYさんが市会議員に頼み、市が工事をすることになった。ついては、地区の区長が市に文書にて申請するように、と区長代理から連絡があったという。旅行から帰ってすぐに市の建設課へゆき、ことの経過をたずねたところ、この議員には「地元で普請することになっている」と説明し了解いただいている、ということでした。ただし、生コンは市から支給するとのこと。何のことはない、話は振り出しに戻りました。
Img_1076_1  9月上旬、団体の会議に参加し、あらためて工事着工を要請しました。団体の代表は、すべての地権者と利用者に声をかけ参加させるべきだ、と原則論をかかげてゆずりません。地権者のほとんどが、80歳を超えた高齢者か県外在住者で、この原則論には現実性がありません。押し問答をくり返した結果、なんとか9月中旬着工の目処が立ちました。人の集まりやすい日曜日にパネルを張り、生コン業者が営業する平日に生コンを打つ、という段取りになりました。
Img_1077_1 パネル張りの当日は、8人が参加し1時間半ほどで終了。生コンの日は結局、区三役とYさんと助っ人のKさんの5人で、生コン打ちをしました。そして、どうやらこうやら、2年越しの懸案だった道普請が完工したのです。以上が、里山の道普請の顛末でした。

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