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2014年1月13日 (月)

いま飯舘村は?

   この3月、東日本大震災・福島原発事故から3年目をむかえるにあたり、地元の脱原発グループで、『写真展・飯舘村』を企画しています。ネットで知った飯舘村写真展実行委員会の呼びかけに応じた形です。酪農家・長谷川健一さんの写真50点を、市の文化会館で展示する予定です。
  この写真展を企画するにあたり、飯舘村についての関連サイトから情報を集め、飯舘村の現状について整理したので、報告します。

  飯舘村は、福島第一原発の北西30~45㎞に位置する人口6,200人余の村。標高200~600m、面積231の75%を山林がしめる農山村で、高原野菜や花卉栽培、酪農や肉牛飼養が盛んで、とくに飯舘牛ブランドは村自慢の銘品でした。また、「までい」(心をこめて)の村として知られ、日本一美しい村を目指していました。

 3年前の3月15日の午後、南東の風に乗った放射性雲が飯舘村上空にさしかかり、夕方からの雨や雪にまじって大量の放射性物質が、村民や避難民のうえに降りそそぎました。村にかけつけた研究者やジャーナリストの即刻避難の提言にかかわらず、政府はその必要なしとし、村もそれに従い村民を放置しました。しかし、その後政府は方針を転換、結果的には被ばくから2か月半後に、全村避難を余儀なくされました。その間、村に残った多くの村民は高レベル放射能にさらされ、とりわけ幼い子どもを持った母親たちは、避難の遅れたことを悔やみ、放射能に対する恐怖に、いまなお苦しみつづけています。

 3・11から約1,000日たった村民の避難状況を、飯舘村役場のデーター(2013/12/1現在)から概観します。
  うえに「全村避難」と書きましたが、例外が2例あります。ひとつは、「未避難者8戸12人」です。データーからは、どのような人が何故「未避難」なのか、具体的なことは一切わかりません。もう一つの例外が、いいたてホーム(特別養護老人ホーム)に残された高齢者66人です。このホームについては、朝日新聞が昨年暮れ、好評の連載記事「プロメテウスの罠」で22回にわたり取り上げました。その初回記事に、事故後2年9ヶ月で112人いたお年寄りのうち48人が亡くなり、介護職員は66人から37人に減った、と報告されています。職員は、村外の避難先からの通い、ということです。
 この2例を除いたほぼ全村民が、現在なお避難生活を送っています。そのうち県内避難者6,123人は、近隣市町村を中心に、県内31市町村に分散避難しています。また県外(国外含む)避難者495人は、26県に避難しています。
 県内避難者の避難先住宅は、仮設住宅(1,168人)、借上住宅(3,804人)、公的宿舎(491人)、親族宅・老人ホーム・病院(660人)となっています。いずれも「仮の宿」であり、避難者の生活が3・11以前に戻ることは、まったく見通せません。しかも、分散避難の中でコミュニティは破壊され、回復の見込みはありません。

 では、飯舘村の放射能汚染の現状はどうなのか、2014/01/08現在の原子力規制庁による空間線量測定結果をみます。
 村内40地点の測定結果は、最高2.346μSv/h最低0.112μSv/h平均0.949μSv/hでした。環境省の除染基準0.23μSv/h(年間1mSv)以上の地点は40地点中37地点、村の帰村基準である年間5mSv(時間当たり換算0.99μSv/h)以上は17地点でした。
 「年間1mSv」は、平常時における一般人の線量限度とした国際的な基準。「年間5mSv」はほぼ、放射線管理区域として一般人の不必要な立入りを法令で制限している水準。そうすると、飯舘村の40地点の内37地点が、一般人の線量限度とした国際基準以上にあり、17地点がいまだなお、放射線管理区域なみの空間線量となっていることになります。
 なお調査地点の40か所は、主として学校・幼稚園・役場・公民館等の公共施設で、空間線量の高い田畑・牧草地・山林など村民の主たる仕事場や生活の場である住宅地も、入っていません。しかも、調査地点の除染・未除染の区別もわかりません。

 菅野典雄村長は、除染により村民の帰村と村の復興をはかるため、いち早く政府に支援要請し飯舘村除染計画を発表しました。それによると、除染完了の目標年は、住環境2年後(2013年)、農地5年後(2016年)、森林20年後(2031年)とし、総額3,224億円の事業費を計上しました。政府はこの計画に対応し、2011年末から除染効果のモデル実証事業を立ち上げました。
 この除染効果について、飯舘村草野地区の場合をみます。空間線量の推移は、除染直前1.62~5.88μSv/hだったのが、除染直後0.38~2.96μSv/hにまで下がりました。しかし、半年後の調査では0.68~3.22μSv/hと、逆に増加に転じました。屋根の放射性物質をふき取り、落ち葉などの堆積物をとり除き、そして表土をはぎ取る、といった除染作業の結果、空間線量は大幅に下がりましたが、最終目標としている0.23μSv/h(年間1mSv)には遠く及ばず、村が当面の目標とする0.99μSv/h(年間5mSv)を達成した地点は一部に留まりました。面積の75%をしめる山林の除染は、実質的に手つかずで、除染後の空間線量増加の原因のひとつと見られています。多額の資金と労働力を投じる除染の限界が、あきらかになりつつあります。しかもその進捗は、宅地7%・農地2%・森林3%・道路0.6%(2013/11末・環境省)にとどまり、当初計画が大幅に遅れています。村や政府の「除染して帰村」の方針は、ゆらぎます。村民の中には、本当に帰村できるのか、という疑問と不信の声があがっています。村外コミュニティの形成も、重要な選択肢として議論されています。まもなく3年目を向える避難生活のなか、飯舘村村民の苦悩とジレンマが、ますます深まります。

 追記:「馬の連続死は何を語るか-福島県飯舘村・細川牧場の記録」について
 ジャーナリストの関口威人さんが、YouTubeにアップされた動画について、紹介します。
 飯舘村の細川牧場で、2013年にはいってから、40頭のうち16頭の馬が次々と、原因不明のまま死亡しました。四肢の異常から歩行困難となり、やがて飼料を食べなくなり、黄疸症状を呈して死んでいきました。三代目牧場主の細川徳栄さんは、このような馬の連続死は過去に経験がなく、放射能の影響を疑いました。
 細川さんは、家畜の殺傷処分という政府方針に抗議し、警戒区域の牛752頭を飼い主から預かり、その後、全国の牧場に里子に出して生き長らえさせた、という経験の持ち主です。
 4月21日、雪の積もった牧場で、うしろ肢が立てずにもがく「つるひめ」の姿が、映し出されます。細川さんは、倒れたまま放っておくと死んでしまうとして、重機のアームを使って何度も立たせようとします。そして、ついに立たせることができたとき「よかった、よかった」との安堵の声が漏れました。しかし、「つるひめ」は4日後、安楽死させられました。馬の死体を解剖した研究者は、死因は外傷によるものとし、今のところ放射能の影響については否定的でした。来日したロシアの研究者は、チェルノブイリの経験から、福島でも10数頭の馬が死んだことは、とても危険なシグナルだと語りました。

 追記2:昨日この記事をアップしたのですが、今日の朝日朝刊「声」欄に、飯舘村から仮設住宅に避難している伊藤延由さんの投稿記事が出ていたので、要約して紹介します。
 「福島 住民帰還の基準は理不尽」と題された投稿記事で、伊藤さんは、「国が避難指示解除の必須条件として年間被曝線量を「20㍉シーベルト以下」で帰還を促そうとしている」のは、「住民の健康を最優先」するためではなく、「経費のかさむ除染困難な現状を追認しょうとする、国のご都合主義ではないか」と厳しく批判します。そして、「伊達市と川内村の一部は20㍉シーベルトを下回ったとして「特定避難勧奨地点」指定を解除され、補償を切られた。除染後も全国並み水準に戻っていない土地にさあ戻れ、戻れば補償打ち切り、とはあまりに一方的な仕打ちだ」と政府の帰還優先方針を非難し、ことの理不尽さを、ひろく読者に訴えています。

 すでに書いたように、年間5㍉シーベルト以上は、一般人の立入りが制限されている放射線管理区域と同じ空間線量です。この区域内では、水を飲むこと、食べ物を食べること、寝ること、子どもを連れ込むことはできません。また、18歳未満の就労は禁止され、違反者には6ヶ月以下の懲役または30万円の罰金が、課せられることになっています。これは、日本の法律で決められていることです。

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