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2014年5月16日 (金)

「3・11」後の日本

 東日本大震災と福島第一原発事故、とりわけ人災とされた原発事故は、日本の内外の多くの人びとに、大きな衝撃を与えました。人びとはこの災厄に向かいあうなかで、これまでの生き方や社会のあり様について自己反省的に洞察し、もうひとつの生き方やあり様を、模索しはじめました。そのひとり、ノーベル賞作家の大江健三郎氏は震災直後、次のようにル・モンド紙記者に語りました。

  「いま東日本を覆いつつある福島原発からの放射能の脅威が、日本人にとってアメリカの核抑止への絶対的な信頼(それと原発の安全性への確信とはつながっていないでしょうか?)を打ち壊すなら、広島・長崎の死者たちに裏切るまいとした、戦後すぐの日本人の心情の回復をもたらすことはありうる。その期待を持ちます。」(「ル・モンド」2011/3/17、朝日新聞2011/4/20の大江氏の投稿記事から)
 大江氏は、「3・11」後の日本に、核の呪縛からの解放への期待を表明したのです。戦後一貫して、核の脅威を訴えつづけてきた作家にして初めてもちえた、オプティミズムだと思います。
 大江氏同様に、「3・11」は日本にとって転換のチャンス、と期待した人びとのなかに、日本と東アジアの近・現代史を専門とし、ともに日本社会に対して深い理解と愛着をもっている二人の歴史学者がいました。米国人のジョン・W・ダワー氏と豪州人のガバン・マコーマック氏。旧知の二人は2011年12月ボストンで会合し、東日本大震災と福島原発事故後の日本と世界について語り合いました。「震災・原発事故は、日本に大きな転換点を作った」「大きな変化は突然のカタストロフィーではじまることが多い」「日本社会のあり方は変わらざるを得ない」と認識をしあい、その方向は、草の根の市民主導の民主主義社会ができるのか、それともアメリカに従属した国家主導の未来となるのかが問われている、と指摘しました。(対談「巻頭言 震災後 日本と世界への眼」 NHK・BS1、2012/1/2放映)

 「3・11」から3年が経過し、はたして日本社会はどう変わったのか?
 脱原発・自然エネルギーへの転換のチャンスは、安倍政権の「原子力を基幹エネルギー」と位置づけた新エネルギー基本計画や原発再稼動および原発の海外輸出の策動によって、見失われようとしています。一方、アメリカの核抑止体制への依存は、東アジアにおける国際的緊張が高まるにつれ、強まることはあっても弱まることはありません。「核の呪縛からの解放」という期待は、萎むばかりです。
 また、「戦後レジームからの脱却」をスローガンとした安倍内閣は、国家安全保障会議の設置、特定秘密保護法の制定、武器輸出三原則の撤廃などを矢継ぎ早に実現し、さらに今、集団的自衛権の行使容認を合憲とする解釈変更によって、日本を戦争のできる国家へ着実に進めています。日本社会は、草の根の市民主導の民主主義社会の方向ではなく、国家主導の新軍国主義的未来を選択しつつあるといえます。まさに、「3・11」後の混乱に便乗した日本政治における「ショック・ドクトリン」の様相です。
 何故に、このようになったのか?
 ジョン・W・ダワー氏のいう「戦後日本を規定したサンフランシスコ体制の『負の遺産』」こそが、その原因であり背景であると思います。ジョン・W・ダワー、ガバン・マコーマック共著『転換期の日本へ 「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か』(NHK出版新書2014/1/10発行)から、ダワー氏の見解を紹介します。

 まず総論として、サンフランシスコ講和が「片面講和」だったことにより、日本を近隣国の中国・朝鮮から引き離したうえで、日本は、民主主義、繁栄、平和という「恩恵」を享受するとともに、対米従属という「拘束衣」を余儀なくされた、と総括されます。この「恩恵」と「拘束衣」というサンフランシスコ体制の持つ二面性が一貫して、戦後の日本社会を規定しつづけます。
 では、フランシスコ体制の「負の遺産」とは何か? ダワー氏は、沖縄、領土、米軍基地、再軍備、歴史問題、核の傘、日中関係、従属的独立という「問題を孕んだ八つの遺産」を検証します。ここでは、その一部について紹介します。
 まず「沖縄」について。「サンフランシスコ体制は琉球弧の南半分である沖縄県を日本から切り離し、米国の軍事拠点に変えるという非情なやり方で、日本をも分断国家にしたのである」。しかもこの分断は、本土の主権回復のために沖縄を「捨石」にしてもかまわないという日本政府の熱心な共謀の結果でした。1972年5月15日の沖縄変換後も、沖縄にのみ犠牲を強いるという関係はなんら変わることなく、まさに「負の遺産」として今日に引き継がれていることを、私たちは知っています。
 今日、沖縄が本土の犠牲となっているのは、過度に集積された米軍基地においてです。その米軍基地が「引きつづき存在することで、疑いなく将来の日本から(過去におけると同様に)、たとえそれが賢明でもなく無謀でさえあることがわかっていても、米国の世界的な軍事政策やその実践に加わる以外の選択肢が失われることも明らかである」。米軍基地が「負の遺産」たる由縁です。
 「サンフランス講和は、中国と韓国という、もっとも謝罪と償いを受けるべき国々を排除したばかりでなく」、忘却を促し全面的な和解を排除し、そして「帝国主義と戦争が刻んだもっとも深い傷と取り組むことなくそれを放置した」のです。今日の「歴史認識問題」の背景にやはり、サンフランシスコ体制の「負の遺産」があるのです。
 日本政府は、サンフランシスコ体制に組み込まれ米国の「核の傘」の下に入いることによって、「国民が自ら経験した核の恐怖と向き合う」ことなく、「核軍縮と最終的にはその廃絶を促進する、力強くも指導的な役割を演じる機会」を永久に失ってしまいました。ダワー氏が広島・長崎にみたことを、私たちは今、福島にみようとしています。原発事故の恐怖に向き合うことなく、脱原発を促進する指導的役割を果たす機会を、日本は再び失おうとしているのです。
 日中関係の戦後は、サンフランシスコ体制下の緊張の増大と、1972年以降の誠実な日中和解という、矛盾を孕んだ軌跡をたどってきました。そして「日本と中国が1970年代以降、どれだけ何度も、また、いかに真摯にアジアの平和と発展のために協働すると誓ってきても、そして、いかに両国間の相互作用と経済的依存が巨大になろうとも、結局、日本の指導者たちにとってもっとも決定的な重要性を持ってくるのは、緊密な日米関係の継続」なのです。サンフランシスコ体制の「負の遺産」は現在、日中関係においてもっとも深刻な悪影響を与えているといえます。
 最後にダワー氏は、「サンフランシスコ体制のもっとも厄介な遺産は、日本の自立性の制限、本来的な非対称性、冷戦の終焉以来米国の「属国」になった、顕著な構造的不均衡」だと断じます。だから、保守派や右翼のいう「再軍備の加速が、真の独立と自立へ向かう途になるという考えは欺瞞的だ。日本はアメリカの軍事的な抱擁から抜けることはできない。実際に、アジアばかりでなく世界規模で次々と進化するその世界戦略の構想を支持させるために、憲法の制約を取り払った、より軍事化されたパートナーをもとめているのがアメリカなのだ」と日米関係の真実を喝破しました。

 ジョン・W・ダワー氏のサンフランシスコ体制の批判的検討を通してみるならば、安倍首相の「戦後レジームの脱却」とは、サンフランシスコ体制の「負の遺産」の継承であることが、明白です。安倍のいう「脱却」は、「戦後レジーム」のもうひとつの柱である、日本国憲法下の国民主権・基本的人権の尊重・平和主義を原則とした民主主義体制からの脱却であり、安倍の狙いは、国家主導の新軍国主義にほかなりません。「新」の意味は、アメリカに抱擁された軍国主義である、ということです。

追記:ジョン・W・ダワー、ガバン・マコーマック共著『転換期の日本へ 「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か』(NHK出版新書2014/1/10発行)には、ダワー氏の論文のほか、マコーマック氏の論文『属国-問題は「辺境」にあり』と両氏の対談『東アジアの現在を歴史から考える』からできています。マコーマック論文は、沖縄本島、馬毛島(種子島に隣接)、与那国島、竹富島および尖閣諸島などをめぐる問題を詳細に検討し、サンフランシスコ体制の最大の犠牲者である沖縄問題に、鋭く迫っています。マコーマック論文については、別の機会に触れたい。

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