愛犬の介護と看取り
一昨日、ホトトギスが今年初めて鳴きました。近くの里山では、エゴノキの白い花がいっせいに咲き始めています。庭のヤマモミジの巣箱から、営巣していたシジュウカラ親子が、いつのまにか、巣立っていきました。その日を注意深く待っていたのですが、愛犬の最期の介護と看取りに気をとられ、気がつきませんでした。愛犬が、おとといの昼過ぎ、亡くなりました。13年と2ヶ月の間、私たち夫婦にとっては、かけがえのない人生の同伴者でした。
2001年春、近所の方からいただいた雑種の中型犬で、胸と足さきの白色を除けばあとは真っ黒。その毛足はながく、とくに尻尾の毛はふさふさとして、いつもゆらゆら揺れていました。性格は穏やか(あるいは気弱)なため、他所の犬や猫との争いを好みませんでした。散歩の途中、気性の激しい母猫に三度も襲われ、その後、その家の前を通ることを断固、拒否しました。が、弱いばかりではありません。月一度巡回してくる電力会社の検針員の女性に対しては、脅しの効いた低い鳴き声で威嚇し、番犬ぶりを発揮しました。このあたりは、徒歩での来客はほとんどなく、検針員の女性が数少ない例外の一人なのです。水道の検針員の男性には鳴きませんでしたが。
皮膚のかゆみを除けば、病気とは縁のない犬でした。昨年秋頃、左の脇腹に朱色の出来物が浮きあがってきたので、かかりつけの獣医に相談したところ、イボの一種で年齢からいって切り取る手術は避けたい、とのこと。感染防止の抗生物質やかゆみ止め等の薬をもらって、様子を見ることにしました。しかしその後、日を追うごとにイボは大きくなり、この春にはついに、大人のこぶし大の肉腫になりました。病巣は、醜くただれて血色に染まり、見るからに痛々しい。また、2月の大雪の後から急に元気がなくなり、庭をよれよれ歩くのが精一杯で、外への散歩も止しました。ただ、食欲だけはきわめて旺盛でした。
4月下旬のある日、庭の片隅で寝ているところを何気なく見ると、ハエが群れをなして病巣部にたかっていました。早速、ハエたたきで叩き落し、ハエ取りリボンを垂れさげて対策を講じましたが、手遅れでした。腫瘍の内部から蛆虫がちょろちょろ顔をだし、そのまわりの毛のなかには、大量のハエの卵が生み出されていました。体内から蛆をピンセットで引き抜くのももどかしく、家内と二人で指先でつまみだしました。なかには、今まさに皮膚の中にもぐり込もうとしている蛆虫もいました。作業の途中にも、産卵をしかけるハエがしつこくつきまとっていました。自分たちの不注意に唖然とし、口利けない愛犬に申し訳なく、結果的には放置したことは、痛恨の極みでした。病弱者に対するハエたちのあくなき攻撃の執拗さと恐怖心を、はじめて身を以って体験しました。
この日から、ムーヤン(愛称)の本格的な介護がはじまりました。病巣部を除く全身をシャンプーで洗い、脇腹の腫瘍部分は、うがい用のヨード液(以前、家内が動物病院に勤めていた時、消毒用に使用していたという)を噴霧器でかけて消毒し、三枚重ねのタオルハンカチで覆って最後に、腹巻を着せて留めました。その後、日三回のヨード液消毒が、日課となりました。消毒直後は問題なしですが、4,5時間たつと腫瘍部からでた膿が腹巻にしみ出してきて、再びハエの攻撃にさらされました。そこで、以後は私の書斎に入れて介護をつづけました。ムーヤンは最早、後ろ足で立つことはできず、自力での歩行や排尿・排便は困難となりました。おしっこは、おちんちんを紙おむつで包んでおくと、寝たままでの排尿が可能ですが、排便がなかなか難しい。様子をみながら時々、抱き上げて排便を促すと、きばりはしますが便がなかなか出てきません。尻の穴に噴霧器で湯を吹きかけたり、指の腹で押さえて刺激してやると、尻穴がゆっくり膨らんだと思うと、プーッとか弱い屁が出た後、親指大のウンチが何個か排出されました。排便のあとは、ほっとした表情が顔に現れ、介護者の私たちも同じく、ほっとしました。排出された臭いはずのウンチも、いとおしい。数年前、母を介護していた時の記憶が、よみがえります。
先週の木曜日から、餌をまったく受けつけず絶食状態で、ほとんど寝たきりとなり、眼を覚ましてももうろうとしていました。死期が迫っていると思い、金曜の夕方から、部屋の中で寝かしてケアをつづけました。その晩は、家内が添い寝をし、深夜にすこし便を出たので、きれいに拭きとってやりました。そしてあくる日の昼過ぎ、脇腹の腫瘍の手当てと下の世話をしたあと、おだやかに寝入りました。スースーと深く息を出していました。そして1時20分ころ、様子を見に部屋に入ったところ、すでに息は絶えていました。体はどこを触っても未だ、暖かでした。写真は、亡くなる直前のケア中に撮ったムーヤン最期の写真です。いつもは寝ている耳が、立ち上がっていました。
翌日の昨日、息子の家族五人とともに、ムーヤンのお別れの会を開きました。ムーヤンの13年間に撮った写真100枚のスライドをみんなで見て、涙ぐみました。その後、隣町の火葬場で、ムーヤンを荼毘に付しました。5歳の孫は、焼却炉から戻らないムーヤンのことを、どこにいったの、とくり返し母親に聞きました。
以上が、愛犬ムーヤンの介護と看取りの顛末です。
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愛犬”むさし”逝去の報に、驚きとともに心より哀悼の意を表します。お二人の親身の世話に対し、天国で感謝しているものと思います。
もの言えぬペットの死は、飼い主にとって、人間の死とはまた違った悲しみを覚えるものです。どうか、ペットロスからの早い回復をお祈り申し上げます。
投稿: あんちゃんより | 2014年5月19日 (月) 16時27分