大飯原発の運転差し止め判決
関西電力大飯原発の再稼動差し止めを命じた福井地裁判決は、フクシマを忘れず原発再稼動を許さない、と訴えてきた多くの人びとに勇気と希望を与える、画期的な司法判断でした。とりわけこの判決が、福島原発事故の犠牲者に寄り添い、日本国憲法の人権条項に依拠して下されたことに、感動すら覚えます。ニュース検索サイトNPJ掲載の「速報 大飯原発運転差止請求事件判決要旨全文」を読みながら、この判決の要点を整理し、ながく記憶にとどめたい。
1.裁判の基本指針について
判決は、運転差止命令の結論に至った理由の最初に、この裁判の基本指針を次のように明記しました。
「個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれのあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できる。」
この裁判は、すべての法分野において最高の価値をもつ人格権に基づいて、請求、審理および判決がなされた、と宣言しています。その依拠した憲法条文は、次のとおりです。
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
「個人の尊重」は日本国憲法で最も重要な原則だと、伊藤真さんの講演会で教えられましたが、人格権とはまさにこの「個人の尊重」をさします。自民党憲法草案(2012年発表)では、この「個人の尊重」が消えて、「人・家族・国家」が前面に出てきます。もし自民党草案による改憲がなされたならば、今回の原発再稼動差し止め判決はその根拠を失っただろうな、と思いました。
2.福島原発事故をどのようにとらえているか?
判決は、福島原発事故を総括し、その犠牲の過酷さと規模の広汎さを次のように指摘しました。
「福島原発事故においては、15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、この避難の過程で少なくとも入院患者等60名がその命を失っている。家族の離散という状況や劣悪な避難生活の中でこの人数を遥かに超える人が命を縮めたことは想像に難くない。さらに原子力委員会委員長が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討したのであって、チェルノブイリ事故の場合の住民の避難区域も同様の規模に及んでいる。」
福井地裁の樋口英明裁判長は、福島原発事故と真摯に向き合う中で、多くの人びとの生命と生活が犠牲となったことに思いを馳せています。「福島原発事故では1人も死亡者はでなかった」「避難区域は最小限で足りる」といった原発推進派の人びとの主張を、厳しく批判したことを意味します。そして、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する原告に、人格権侵害の危険があるとして、運転差止請求を認めました。20キロメートル圏内や30キロメートル圏内だけでなく、それを大幅に超える広汎な地域への具体的な危険性を指摘したのです。この判決によって今後、各地の原発の再稼動にあたり、想定される原発事故の際の避難区域の範囲が、250キロメートル圏内と意識されることになるでしょう。もはや、沖縄をのぞき日本列島のなかに逃げる場所は、ほとんど残されていません。
3.原発技術の特性と危険性
原発技術の特性とその本質的な危険性について、判決は次のように指摘します。
「大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原発事故のほか想定し難い。原発技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになった。
原発では、いったん発生した事故は時の経過に従って拡大して行くという性質を持つ。このことは、他の技術の多くが運転の停止という単純な操作によって、その被害の拡大の要因の多くが除去されるのとは異なる原発に内在する本質的な危険である。
従って、原発の運転差し止めの判断基準は、原子力規制委員会による新規制基準への適合性適否の観点からではなく、福島原発事故のような根源的な権利である人格権が極めて広汎に奪われる事態を招く可能性が万が一でもあるのかどうか、である。福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課せられた最も重要な責務を放棄する等しい。」
原子力規制委員会による新規制基準は、従来の「安全神話」に基づく基準よりは厳しくなったとはいえ、福島原発事故の原因解明もないまま拙速に策定され、避難計画作成の義務付けもなく、安倍内閣のうそぶく「世界一厳しい基準」というプロパガンダにかかわらず、国民の安全をなんら保障するものではありません。判決は、原子力規制委員会による新規制基準の適否による原発再稼動を、明確に否定したことになります。このことのもつ意味は、極めて大きい。
4.大飯原発の欠陥 ― 冷却機能の欠陥 ―
大地震発生時に原発の安全性を保つためには、速やかに止める、冷やす、閉じ込めるということが要請されます。福島原発事故では、止めることはできましたが、冷やすことができず放射性物質の外部放出を許しました。大飯原発には福島同様に、冷やす機能と閉じ込める構造上に欠陥がある、と判決は断じました。
関電は、基準地震動(耐震設計の元になる想定される最大の地震の揺れ)700ガルを超える地震は考えられないと主張し、たとえ700ガルを超えても、対策を講ずれば1260ガルを超えなければメルトダウンはない、と主張しました。これに対して、判決はすべての地震動レベルで、関電の主張をことごとく、「根拠のない楽観的見通しにすぎない」と退けました。
「1260ガルを超える地震は来ない」という主張に対しては、「我が国において記録された既往最大の震度は岩手宮城内陸地震(2008/6)における4022ガルである」として一蹴。また、「基準地震動700ガルを超える地震は考えられない」という主張に対しても、「全国で20箇所にも満たない原発の内の4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が平成17年(2005年)以後10年足らずに間に到来している」として関電の主張を退けました。こうした審理の結果、判決は大飯原発の冷却機能の欠陥について、つぎのような結論を出しました。
「地震国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しに過ぎない上、基準地震動に満たない地震によっても冷却機能喪失による重大な事故が生じうるというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設のあり方は原発が有する本質的な危険性についてあまりにも楽観的といわざるを得ない。」
5.大飯原発の欠陥 ― 閉じ込める構造の欠陥 ―
福島原発事故では、4号機プールにあった使用済み核燃料が危機的状況に陥りましたが、判決はこのことを重視し、大飯原発も福島同様に、放射性物質を閉じ込める構造に欠陥があると断定しました。
「使用済み核燃料は大飯原発では原子炉格納容器の外の建屋内の使用済み核燃料プールに置かれており、使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたときこれが原発敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。」
6.国富とは何か?
判決の最後、樋口裁判長は原発におけるコスト優先を厳しく批判し、最高価値としての国民の生存権の絶対的な優位性を明確に打ち出しました。
「被告(関電)は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ大飯原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流失や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。」
最早、この判決についてコメントすることは、何もありません。唯一つ、この福井地裁判決は、大飯原発の運転差し止めを命令すると同時に、日本全国のすべての原発の再稼動差し止めを求めるものだ、と思いました。
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