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2014年8月 5日 (火)

イタリア人少女がやってきた

 隣の甘楽町は1983年から、イタリアの小都市チェルタルド市と友好親善姉妹都市協定を結び、30年余の間、国際交流を行ってきました。その中核となる行事が、隔年実施の中学生の相互訪問と相手先家庭でのホームスティ。甘楽町に住む次男の娘(中学1年生)が、今年の旧盆過ぎに、チェルタルド訪問団に参加し、かの地のイタリア人家庭でホームスティをすることになりました。それに先立ち7月末の1週間、チェルタルド市の使節団がやってきてホームスティをするという。そのなかに、孫娘が世話になる家庭の子どもがいるとのこと。これは放っておけない。躊躇する次男にかわって、祖父母の私たちが、ホスト・ファミリーを引き受けることになりました。

 そして先週はじめ、わが家にふたりのイタリア人少女が、やってきました。ペートラとヴァレンティーナ。ともに13歳の中学校(スコーラ・メディア)2年生。ペートラは金髪でやせっぽちな甘えん坊、ヴァレンティーナはやや大柄でエネルギッシュなお姉さんタイプの女の子。ふたりとも生まれてはじめての体験に、緊張しながらも物怖じせず、長旅の疲れも見せずにこやかで、初対面の印象はたいへん好もしい。定年後の私たち夫婦にとっては、またとなく刺激的で多忙な日々でした。ふたりの孫娘をふくめた4人のホームスティ中の出来事を、書き留めておきます。

 食事のこと
 ホームスティをひきうけて、まず私たちが悩んだのが、食事のこと。7日間の滞在中、朝食5回、昼食2回、夕食5回の食事をすることになっていました。朝食は、パンとシリアル、牛乳とジュースがあれば、とりあえず問題はないはず。わが家の朝食を、ほぼそのまま踏襲すればよし。昼食は自宅で1回、外食1回で、なんとかなる。問題は夕食。ベルギーに住む娘によれば、かの地の人びとは、醤油あるいは醤油味に対しては、好き嫌いがはっきりしていて、だめな人はまったく受けつけないとのこと。醤油のない和食なんて、オリーブオイルのないイタリア食のようなもの。さてどうするか。家内は、5回の夕食の献立に頭を絞りました。
 初日は和風洋食。豚カツ、野菜サラダ、豆腐、ご飯。豚カツは、少女たちの口にあったようで、まずまずの食べっぷりでした。野菜サラダはちょっと食べただけ。豆腐を食べる段になって、ペートラが醤油をまったく受けつけないことが分かりました。指先にほんのわずか醤油をつけ、神妙に味見をして「ノー」。ヴァレンティーナは、醤油に対しては無頓着な様子。醤油のかかった豆腐ひとかけらを食べました。でも、ふたりとも豆腐は、あまり気に召さなかったようでした。
 2日目、イタリア料理で「鯛のアクア・パッツァ(鯛をフライパンで炒め、アサリとトマトを加えて煮込んだ料理)とショートパスタ」。前日の夕食と朝食でのふたりの少食ぶりをみて、すこし心配でした。食事が口に合わないか、旅行の疲れか。では今夜は、家内が腕に縒(よ)りをかけて作ったイタリア料理を召し上がれ!
 まずペートラの目が、輝きました。「いただきます」のあと早速、皿にパスタをとり、そのうえにアサリを数個のせ、ソースをかけました。口に入れもぐもぐと食した瞬間、喜色満面、小さく「ヴォーノ」とつぶやきました。席を立つ許しをえて寝室へいき、伊日辞典をみてから席に戻り、家内に向って「おいしい!」と言いました。ヴァレンティーナは、すでにパスタのお替りをし、鯛の骨を丁寧に取り除きながら、せっせと皿にとって幸せそうな顔で、食べつづけました。孫娘たちも、イタリアの少女にまけず食欲極めて旺盛でした。やや多めに作ったパスタ料理は、日伊4人の少女たちによって完食となり、私たちを圧倒しました。食後、少女たちの舌は滑らかとなり、スマートフォンとパソコンの日伊翻訳アプリとボディ・ランゲージを駆使し、少女たちの会話がはずみました。ご馳走がひとを幸せにすることを、あらためて思い知りました。
 3日目、少女たちからリクエストのあった「にぎり寿司」。ヴァレンティーナは、寿司を指先でつまみ醤油をたっぷりつけて食べました。ペートラは、醤油の代わりに塩と黒胡椒の効いたドレッシング・ソースをつけて、食べました。今夜もまた、幸せな食事となりました。4人の少女の食べた後、残り少なくなった寿司を夫婦で食べました。
 4日目、ふたりのイタリア人少女が作ったバジル・ソースを合えたパスタ料理。少女たちは、イタリアからパスタとバジル・ソース(瓶詰め)を持参、台所を借りて簡単な調理をし、ホスト・ファミリーの私たちに振舞いました。素敵なアイデアに感心しました。
 5日目、予定のパスタ料理を変更、野菜と海老と肉たっぷりの焼きソバ。ふたりは焼きソバのウスター・ソースもすっかり気に入り、この日も完食。少女たちのたくましい食べっぷりに、こちらの食欲もいや増し、この1週間で体重が増えました。

 夏休みの三大イベント
  ホームスティの期間中何をするかも、ホストの大切な課題でした。
 が話は簡単、夏休みといえば、花火、スイカ割り、流しそうめんとわが家では相場が決まっています。これは写真で紹介します。

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  公園の芝生の上でのスイカ割りは楽しく、よく冷えたスイカもおいしかった。少女たちの笑顔がはじけます。
 ホームスティ最終日の昼は、流しそうめん。少女たちは、半割の竹に流れくるそうめんを取り合い、より上流に行って先取りを企て、まさに胃袋に大量のそうめんを流し込みました。醤油が苦手なペートラは、かに味の冷パスタ用トマト・ソースにつけて食べました。試食してみると、なんとも妙な味のそうめんでした。ヴァレンティーナの逞しいまでの食べっぷりは、流しソーメンでも十分に発揮されました。普段は少食の孫たちも、流しソーメンになると、人が代わったように旺盛な食欲ぶりを発揮します。

 小旅行と座禅とお買物
 期間7日間のうち2日間は、ホームスティ先での自由時間になっていました。そこで、1日は榛名湖への小旅行とし、あとの1日は、甘楽町の禅寺で早朝座禅を体験し、その後、次男夫婦の案内で、買物へ出かけました。
 小旅行ではまず、榛東村のこけし工房で絵付けをしました。ドラエモンはヴァレンティーナ作、着物の女の子はペートラ作。また、榛名湖ではサイクル・ボートを楽しみ、湖畔の茶店でかき氷を食べました。
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 甘楽町の宝積寺で、朝の8時から20分間ほどの座禅を体験しました。イタリアの少女たちはもちろんのこと、日本の子どもたちも、座禅は初めての体験でした。広い本堂では、せみの声のみが聞こえ、ただただ静寂のなか、少女たちの黙想の時が流れていきました。
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 こうして、1週間のホームスティは終了しました。多忙ながら刺激的で愉快な日々でした。ふたりのイタリア人少女とふたりの孫娘に、感謝します。

 甘楽町の人口は、約14,000人。一方、チェルタルド市は16,000人。同規模の小さな市・町どうしです。甘楽町は16~19世紀の城下町の家並みや武家屋敷を、またチェルタルド市は13~14世紀の旧城郭区域を残しています。両市・町はともに、こうした歴史的建造物群を保存しながら、それらを活かしたまちづくりを実践しており、このことが30年にも及ぶ姉妹都市の絆を強めてきたと、甘楽町の資料にありました。
 甘楽町の文化会館のロビーには、「デカメロン」の著者ボッカチオのブロンズの胸像が、飾ってあります。チェルタルド市は、ボッカチオの生誕の地。一方、チェルタルド市のシンボルであるプレトリオ宮殿には、甘楽町の贈った「甘楽庵」という建物があるそうです。こうした胸像や建物の交換を通しても、両市・町の交流は深まります。
 今回のホームステイに参加したチェルタルド市の少女たちと、これからチェルタルド市を訪問し彼の地でホームスティをする甘楽町の少年・少女たちに、この貴重な体験を糧に異なった言葉と文化と生活への眼を育み、多様な世界のありようを体感して欲しい、と心から願います。

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コメント

この度は、青年使節団の受入で大変お世話になりました。
私どももお邪魔させていただき、子どもたちの大変楽しそうな
様子に安心いたしました。甘楽町での交流、そして、これから
チェルタルドでの再会により、両市町の子どもたちにとって
とても貴重な経験になることと思います。ご協力いただき
ありがとうございました。

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