ヒエロニムス・ボスの世界
ネーデルランドのヒエロニムス・ボス(1450頃~1516)は、奇妙奇天烈な人物や動物によって人間の愚行や罪業を描いた画家として、P・ブリューゲル同様、私のお気にいりの画家のひとりです。『芸術新潮』9月号が、ボスの全真作20点掲載の永久保存版「中世の大画家 ヒエロニムス・ボスの奇想天国」と題した特集を組んでいます。中身は表題に違わず、充実した76ページです。ここでは、もっとも魅力ある作品のひとつ『快楽の園』を紹介します。
プラド美術館(マドリード)所蔵の『快楽の園』(1503頃)は、開閉式の三連式祭壇画の形式をとっています。左パネルには天地創造後の「エデンの園」、中央パネルに「快楽の園」、そして右パネルに「地獄」が描かれています。なんといっても面白く刺激的なのは、「快楽の園」と「地獄」です。まずは、中央パネル「快楽の園」から。
全体を見渡すと、中央パネルは前景、中景、後景の三層からできていることが分かります。前景では若い男女がゆったりと睦みあっており、中景ではニンフのような少女たちの遊ぶ小さな池の周りを、馬や熊や一角獣などの動物に乗った男たちが、楽しげに行進しています。そして後景は、壁色がピンクやブルーの奇妙な塔が4本建っています。幾百人ともしれない男と女はすべて裸です。ひとよりも大きな鳥や魚が描かれていますが、それらがボスの奇怪な動物を見慣れた目からすると、まるで鳥類(魚類)図鑑のように具象的なのに「おやっ?」といった印象を持ちます。画面全体に、イチゴやブルーベリー などの赤や青の果実が、万遍となく散らばっています。ここ「快楽の園」は、裸の若い男女が無邪気に遊ぶ甘美と豊穣と幸福な世界です。
すこし、細部を見ます。 中央パネル右下の幾組かの群像です。頭に花を飾ったふたりの白人女性と語りかける男性たち。頭にサクランボをのせた黒人女性は、右手を軽くあげ画面の左方向を見つめています。この祭壇画には、10人前後の黒人が描かれていますが、全員女性のようです。15世紀末、すでにネーデルランドには、黒人が住んでいたことが想像されます。黒人女性の指差す方向に目を向けると、尻から花を放ち出す女とそれを摘む男がいます。排泄行為が美化されます。その右側では、漏斗状のガラスを被った少女の肩に、若者がやさしく手をかけます。写真右下には、2本の円筒ガラスの後ろに、寝そべった少女を指差し、こちらを向く若者がいます。ほとんどがペアか複数の男女が描かれますが、ときにはひとり、動物や植物(花または果実)と戯れる若者がいます。左端の若者は大きなイチゴに抱きついており、右上の若者は、カササギのような鳥にサクランボを差し出しています。 前景左側部分は、この祭壇画で最も官能的なシーンの数々がつづきます。球体ガラスのなかで寄り添う男女。若者は少女を見つめながら彼女の腹部に触れ、少女は若者の腿に手を伸ばします。また右のムール貝のなかでは、男女が睦みあい、その貝を男が運んでいこうとしています。この3人の関係が気になります。上のほうでは、少女の腕をつかんで抱き寄せようとしている若者がいます。そのうしろで、ひとりの少女とふたりの若者が、鴨のくわえた黒い果実を口にほお張ろうとしています。別の鴨の背にのったふたりは、白人男性と黒人女性のカップル。これらの恋人たちにかこまれて、男がひとり逆さになって頭部を水中に没し、陰部を両手で隠しています。大きく開かれた脚には、真っ赤な果実がはさまれている。その果実の割れ目から、コウノトリが顔を出しています。「見ちゃおれん、ああ恥ずかしい!」と言ったのかどうか。 中景の左半分。池から少女たちが見守るなか、若者たちが動物たちに乗って行進します。猪、鹿、山羊、驢馬、馬、駱駝、熊などの姿が見えます。少女たちの視線を意識した若者たちは、馬上で踊り戯れます。左側では十数人の男たちが、青色の胴体の奇妙な鳥を、神輿にしてかついでいます。なかには逆立ちして担いでる若者もいます。祝祭の行進は今、最高潮に盛り上がっています。
「快楽の園」は、官能的ですが卑猥さはなく、むしろ若者と少女たちの無邪気な仕種(しぐさ)や行動が、楽しくほほ笑ましい。ボスは、アダムとイヴの子孫たちの「快楽」を、肯定的に描いたのだと思います。いまだカトリックの禁欲的な教えが、世にはばかっていただろう15世紀末のころ、この明るくおおらかな祭壇画が、教会の祭壇を飾っていたとは信じられません。
右側パネルの「地獄」をみます。 まず目に飛び込んできたのが、中景真ん中にあって観者をにらみつけている白色の奇妙な「ひと」です。顔は真っ当な肖像ですが、胴は後部を欠いたタマゴのようで、そこから樹木の枝のような脚が伸びている。頭上には円盤状の皿をのせ、その上で膀胱のようなバグパイプの演奏に合わせて、怪物に手を引かれた裸の男たちが、とぼとぼと歩いています。胴体の中では、男たちが酒盛りをしています。そこへ、尻に矢を刺された頭巾の男が、酒瓶を担いで梯子を登っていきます。左上には、ナイフに切りつけられた一対の耳があります。耳の中から悪魔が、巨大な耳の下敷きになった男の手をもって、引っ張りあげようとしています。これぞボスの世界、ともいえる怪物と悪魔に支配された「地獄」です。もうすこし、地獄の様子を眺めてみます。 「音楽地獄」。ハープに磔(はりつけ)にされたり、リュートに後ろ手を縛られた男たち。リュートの下敷きになった男は、怪物によって尻に楽譜の刺青を施されています。まわりの男たちは口をあけたまま、恐怖におののいている。尻でフルートを吹く男は、大きなファゴットを担がされ、そのファゴットを太った男が大きく口をふくらませて吹いている。ファゴットの先端からは、苦悩する男の手が伸びている。過度の歌舞音曲に浸ることを戒めているのでしょうか。
右には、人を飲み込んでいる怪鳥がいます。頭に鍋をかぶり、足には酒瓶を履いています。また、球体の尻から人を排泄しています。排出された人は、便壷の中へまっしぐら。その便壷に、ある男がゲロを吐き、他の男はコインを排泄しています。怪鳥に飲まれている男の尻から、数羽の黒い鳥が飛び立ちました。こちらは、酒池肉林の生活を戒めているのかもしれません。 前景左側の絵。サイコロを頭に載せた女が呆然として、怪物に襲われる男を見つめます。この怪物は、背に円形の楯をかついでおり、楯の中心で、ナイフが聖職者の祝福の手を刺しています。カードを切った男の手にも、剣が刺さっています。倒れたテーブルの後ろ、顔を手で覆い、おどおどしながらこちらを覗っている男は、いかさまでもやったのでしょうか。賭け事にかまけた男と女が、罰せられている地獄絵です。
ボスは「快楽の園」で、若者と少女の官能の世界を、明るく肯定的に描きました。しかし「地獄」では、官能の世界を演出する歌舞音曲や酒池肉林、賭博に溺れることを、厳しく戒めています。これはどういうことなのか。『芸術新潮』解説記事で小池寿子さんは、次のような推察をしています。
この絵は、ハプスブルゲ家に仕えたネーデルランド貴族ナッサウ伯ヘンドリック3世の婚礼に際して描かれた、という説がある。これに基づけば、「結婚に伴う肉欲というのはかくも楽しいものですよ、しかしそれに溺れるとおそろしい地獄が待っていますよ、そんな結婚の喜びと道徳的な教訓が同時にこめられていたのではないでしょうか。」
写真での絵画鑑賞のメリットは、たっぷり時間をとって細部まで観察することができることです。美術館では、一枚の絵にかける鑑賞時間は、十数秒から数分程度。10分以上かけることは稀です。海外旅行中の絵画鑑賞では、なおさら余裕がない。2日も3日も同じ絵を見つづけることなんて、あり得ません。『芸術新潮』9月号は、ボス作品をじっくり見る機会を与えてくれました。見れば見るほど面白い。ジャック・カロの版画以来の楽しみでした。
追記:今回の特集は、ボスの「全真作20点」を掲載したとありますが、『十字架を担うキリスト』(ゲント市立美術館所蔵)がこの20点に入ってません。十字架を背負うキリストとまわりの邪悪な人びとのコントラストが、きわめて印象深い作品です。この作品をはじめてみたとき、ここまで人間を醜悪に描けるのかと強い衝撃を受け、すっかりボスのファンになりました。この作品は、ボスの真筆ではないのでしょうか。どなたかご教示願います。
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