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2014年11月12日 (水)

沖縄知事選直前に、ガバン・マコーマック+乗松聡子著『沖縄の〈怒り〉 日米への抵抗』を読む

  14620004s 本書カバー表の写真(撮影:豊里友行)です。「辺野古の海辺、米軍基地(キャンプ・シュワブ)  と民間地の境に置かれた有刺鉄線。民間側には抵抗の印であるたくさんのリボンがつけられている」と説明されています。過去18年間におよぶ米軍普天間飛行場辺野古移設に反対する沖縄の人びとの抵抗運動を象徴します。そしていま、沖縄県知事選において、このことが最大の争点となって、激しい闘いが繰りひろげられています。(本書は、法律文化社 2013/4/1発行)

 本書はもともと、日本や沖縄以外の読者に向けて、Resistant Islands:Okinawa confronts Japan and the United States,2012(『抵抗する島々:日米に立ち向かう沖縄』)と題した英語の本として発行されました。二人の著者は、すべての東アジアと世界の人びとが、沖縄の壮大な抵抗の歴史と現代の闘いのなかに、人間が「市民」として生きることを学べることがある、と確信します。それは、沖縄の人びとが「自分たちのことは自分たちで民主的に決め、基本的人権が保障された平和な暮らしを送る権利を行使しようとする市民の姿、また、軍国主義の惨禍を忘れず、その罪を二度と繰り返させないという決意をもってたたかう市民の姿」(256頁)を体現しているからです。
 世界から日本語版に寄せられた推薦文で、ノーム・チョムスキーは沖縄の闘いを「誇り高き人々の勇気ある抵抗運動」と称賛し、ノーマ・フィールドは憲法や民主主義を尊重しない日米関係を「うさんくさい舞踏」と揶揄、またジョン・ダワーは「東京の政府官僚がワシントンから発せられる命令に示す卑屈さへの痛烈な批判」と評しています。そして中国社会科学院の孫歌(スン・グー)は、沖縄問題に「東アジアと欧米の間に存在する、戦争と平和の内部的緊張が凝縮され、現代世界のほとんどの基本的矛盾が集約されている」と読み込んでいます。これら推薦人の名前をみていると、今年の1月出された、世界の識者と文化人による辺野古移設中止を求める声明のことを思い出します。本書英語版が、世界の識者・文化人の沖縄への連帯行動に極めて重要な影響を与えたことは、容易に想像がつきます。

 本書(日本語版)は、次のような章から編成されています。
 
 
 

 序 章 琉球/沖縄―処分から抵抗へ―
 第1章 「捨て石」の果てに―戦争、記憶、慰霊―
 第2章 日米「同盟」の正体―密約と嘘が支える属国関係―
 第3章 分離と復帰―軍支配と基地被害は続く―
 第4章 辺野古―望まれぬ基地―
 第5章 鳩山の乱
 第6章 選挙と民主主義
 第7章 環境―「非」アセスメント―
 第8章 同盟「深化」
 第9章 歴史を動かす人々
  終 章 展望

 本書は全編にわたり、沖縄が「長年、政治的、軍事的、文化的、経済的、あらゆる側面での差別を受け続けてきた歴史への怒り」(181頁)と、それに対する沖縄の人びとの壮大な抵抗の歴史を、丹念な資料収集と分析によって、解明しています。「沖縄問題」を理解する上での最良のテキストであると同時に、日本の「民主主義」の実態を知る上で、欠かすことのできない最重要文献の一冊だと確信します。

 投票直前となった沖縄県知事選に関連し、前回の知事選を本書の「第6章選挙と民主主義」で振り返っておきたい。
 保守の現職・仲井眞弘多が宜野湾市長・伊波洋一の挑戦を受けた知事選は、2010年11月28日にありました。この年の1月には、名護市長選挙において、「辺野古に基地はいらない」と明確な姿勢を打ち出した新人の稲嶺進が当選しました。また9月の名護市議会選挙では、基地反対派の稲嶺市長派が議席を大きく伸ばし、27議席中16議席を確保しました。沖縄の世論は、保守・革新を越えて圧倒的に「辺野古基地建設反対」となりました。4月25日の「国外・県外移設を求める県民大会」には、9万人もの人びとが参加しました。仲井眞知事は、県民大会への参加を迷った挙句2日前に参加表明し、大会で「戦争の痕跡はほとんどなくなったが、米軍基地はほとんど変わることなく目の前に座っている。日本全国で見れば明らかに不公平、差別に近い印象を持つ」と述べ、それまでの辺野古基地容認から反対へと舵をきりました。知事選が近づいた9月末、仲井眞は県外移設と日米共同声明見直しを要求することを発表しました。この仲井眞の真意について著者は、「論理的に「県外移設」が前提とする「県内移設反対」とは表明せず曖昧さを残した」と指摘しています。
 選挙結果は、仲井眞335,708票、伊波297,082票となり、僅差で仲井眞が再選されました。当選後の記者会見で、「県内はない」「辺野古は何十年もかければできるかもしれないが、ヤマト(本土)を探した方が早い。県内はもうあきらめた方がいい」「県民、名護市が反対している以上、(県内移設)実現の可能性はなくなった」などと述べ、日米両政府をあわてさせました。「圧倒的な県民の県内移設反対の民意を受けて、仲井眞は自ら舵を切り直すことによって第二期目をスタートした」のです。しかし、2年後の2012年9月9日、10万人余が集まったオスプレイ配備反対集会には、直前になって不参加表明をし、仲井眞知事の公約に揺らぎが見えだします。
  そして2013年12月27日、仲井眞知事は安倍首相からの沖縄振興予算の大盤振る舞いを見返りに、名護市辺野古の埋め立て申請を承認し、事実上、普天間基地の辺野古移設容認に回帰しました。仲井眞知事は安倍首相に感謝し、次のように語りました。「安倍内閣の沖縄に対する思いが、かつてのどの内閣にも増して強いと感じた」「驚くべき立派な内容で140万県民を代表して感謝する」。(この項は本書の扱い外)
 仲井眞知事の豹変は、本書で紹介された国務省日本部長ケビン・メアの沖縄侮蔑発言を想起させます。2010年12月3日、アメリカン大学の講義で、訪日予定の学生に向かってケビン・メアが、次のように発言しました。沖縄の人びとは「怠け者すぎてゴーヤーも育てられない」「東京を巧みに操り、ゆすりをかける名人」。「基地建設を実行するのは可能である-政府が沖縄知事に『金が欲しければ署名しろ』と言えばいいのだ」。
  このメアの沖縄侮蔑発言は、2011年3月7日に報道され、沖縄に衝撃をもたらしました。しかし、3月11日の東日本大震災の陰に隠れ、事件への関心は後退した、と著者は書いています。しかし私たちは、メア発言を地で行った仲井眞知事のことを、忘れる訳にはいきません。このことを是非、11月16日の投票箱の前で、今一度思い起こしていただきたい。

 
 

 

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