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8年前、日韓の不信と対立が深まる中、一人の韓国人女性が両国の和解を求め、次のようなメッセージを両国民に送りました。日本の朝鮮植民地時代の「被害者の示すべき度量と、加害者の身につけるべき慎みが出会うとき、はじめて和解は可能になるはずである」(朴裕河著『和解のために』06年刊)。私はこの本を、通勤途上の車中で読んだのですが、被害者である韓国の人々に「赦し」と「自省」を求めた著者の勇気ある発言に、強く感銘をうけたことを思いだします。
先に読んだ『1941年。パリの尋ね人』の著者、パトリック・モディアノの仕事は、パリという場所のもつ記憶を発掘することにより、フランスの社会と歴史に秘められた記憶を発掘することでした。そうした外部の記憶に、モディアノの個人史(ユダヤ人である父親との関係等)の記憶を流し込むことによって、外部の記憶に血を通わせます(同書「訳者あとがき」より)。こうしてアウシュヴィッツに消えた15歳の少女の記憶が、忘却の彼方から引き寄せられ、『1941年。パリの尋ね人』というノンフィクション作品によって、次世代へと語り継がれていきます。