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2015年1月20日 (火)

沖縄への旅 3-辺野古新基地建設反対運動に連帯を-

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 1月15日(木)、近くの民宿をたって米軍キャンプ・シュワブ前へ行きました。新基地建設反対を訴える150人を超える人びとがゲート前に座りこみ、機動隊やガードマンと対峙していました。その様子を、報道記者やカメラマンが、注意深く見守っています。前夜から15日の未明にかけ、建設機器搬入を阻止しょうとする市民と警官との間で、激しいもみ合いがあり、現場には緊張感が漂っていました。座り込み現場での集会で、発言者は次々と、抗議の声をあげました。

 集会での発言や沖縄タイムス記事から、深夜未明から朝に起こったことを記します。
 *14日23時40分、機動隊の大型バス6台が到着。ゲート前の山形鉄板に座り込む市民のごぼう抜きを始める。また歩道を現場へ移動しょうとする市民が警察官に阻止される。
 *15日0時30分ころ、警察官が基地前の国道を一時封鎖、市民約50人と警官約50人がもみ合いとなる。
 *1時43分、市民と警官がもみ合うなか、クレーン車1台、工事関係車両8台、機動隊車両2台が、ゲートから基地内へ入る。
 *5時前後、二つのゲートは封鎖状態となり、ゲート前で市民と機動隊がにらみあう。
 *7時頃、沖縄防衛局の監視船が次々と、汀間漁港を出港。
 *7時20分ころ、県警がゲート前に座りこんだ市民の排除を開始。
 *8時前、抗議行動に参加していた80代女性が転倒、頭部を強打して救急車で病院に搬送され、騒然となる。
 *8時35分、浮桟橋設置に向け、基地内の浜にクレーン車が到着。作業員も大勢現われ、作業開始。
 以上が、私たちがゲート前に到着する前に起こったことでした。衆院選を考慮し浮桟橋などが撤去された昨年11月22日以来の海上作業の再開です。

Img_5502 発言者たちは、昨年1月の名護市長選挙、9月の名護市議選、11月の知事選、そして12月の衆院選全選挙区で、ことごとく新基地建設反対の民意が重ねられてきたを強調し、「民主主義とは何なのか?」と防衛局による海上作業再開に抗議しました。また、沖縄県警や海上保安庁の強引なやり方に対して、あくまでも非暴力抵抗主義を貫くと宣言しました。
 参加した名護市議や沖縄県議が、保守革新を超えて抗議の声をあげました。県議からは、県庁職員がいまだ、仲井眞前知事時代の意識や態度を変えていないとして、新基地建設反対を公約して当選した翁長雄志新知事をバックアップするために、県職員を教育していかなければならない、と発言しました。
 前夜からゲート前に駆けつけていた参院議員の山本太郎さんが挨拶に立ち、未明の激しいぶつかり合いに触れながら、「沖縄は民主主義にもとづき反対を表明している。新しい基地 は造らせない」と訴え、参加者から盛大な拍手を受けました。
 司会者が、先の衆院選で77歳で初当選した仲里利信さんを紹介すると、ゲート前はさらに熱気を帯び、何と抗議行動のさなか、司会者と周りの数人が両手を左右に振って、踊りはじめました。ほんの数秒の踊りでしたが、この何気ない所作に、20年近くも辺野古基地建設反対に取り組んでいる地元住民の、息の長い持続的で強靭な意志と、厳しい闘いのなかでのおおらかさすら感じました。仲里さんは、自民党沖縄県連の重鎮だったのですが、普天間基地の県内移設に反対する「オール沖縄」の候補として出馬し、当選しました。今回の沖縄における衆院選勝利を象徴するひとりです。南部戦跡のある南風原出身で、幼児のときに沖縄戦を体験したことが、仲里さんの行動を支えているのだと思います。

Img_5559_2  ゲート前での座り込みと集会を後にし、海岸にあるテント村へ行きました。テントの正面には「海上基地建設阻止 命を守る会の闘いと座り込み 闘争開始より3924日」の垂れ幕があり、側面には「翁知事と共にガンバロウ!」と大書した垂れ幕が掲げられていました。会のメンバーはゲート前に集結していて、テントには数人しか残っていませんでした。そこに、「島ぐるみ会議」の人びとがマイクロバスに乗ってやってきました。この運動は、正式には「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」といいます。2013年1月、沖縄県議会全会派の代表と県下全41市町村の首長・議会議長が署名した「オスプレイ配備撤退、普天間基地閉鎖、辺野古移設断念」を求める安倍首相あての建白書の実現を求めている、まさにオール沖縄の運動体です。この「島ぐるみ会議」が、15日から当面毎日、辺野古への支援バスを出すことになったとのこと。この日は3台のバスに分乗し、約100名の人びとが県内各地から駆けつけ、昼前には250人規模に膨れ上がりました。
 この島ぐるみ会議の人たちと私たちがテント前にい合わせたとき、ボートから浜に降り立った「命を守る会」のメンバーが海から戻ってきて、次のように報告しました。海上をカヌーで抗議していた仲間19人が、海上保安庁によって拘束された。海保職員によって強引にカヌーが転覆させられ、海に落ちた人もいた。拘束されている間に、オイルフェンスが張られた。

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 闘いの後の辺野古の海は、美しく静かでした。漁港と米軍基地の間にフェンスが張り巡らされ、そのフェンスには新基地建設反対の幕が掲げられていました。

 翌日、コンビニで琉球新報と沖縄タイムスを買いました。両紙とも、1,2,3面と尻の2面の計5面で、辺野古の海上作業再開を報じました。また両紙は、「民主主義が問われている」(琉球新報)「敵意に包囲される基地」(沖縄タイムス)と題した社説を掲げ、安倍政権の強硬な姿勢に、厳しい警告を発しました。帰宅後、朝日新聞の1月16日号に「海上作業再会」の記事を捜したところ、1面になく2、3面にもなく、35面(いわゆる三面記事)でやっと見つけることができました。本土と沖縄の認識格差に愕然とさせられました。普天間飛行場移設と辺野古新基地建設の問題は、沖縄の問題であると同時に日本全体の問題であることを、私たちは忘れる訳にはいきません。

 

 

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