椎茸原木の伐採再開
高崎・観音山丘陵では、本格的な椎茸原木の伐採が、再開されました。2011年の福島原発事故による放射能汚染により、原木となるコナラやクヌギの伐採が自粛されていたのですが、ここ1,2年のあいだ、原木生椎茸から規制値を超える事例もなく、原木伐採が実質的に解禁となったようです。(ただし原木栽培による干し椎茸は、現在出荷自粛中)
群馬県は、原木生椎茸栽培では全国一の生産量でしたが、2007年から生産量は減少に転じ、2011年の福島原発事故による放射能汚染によって減少に拍車がかかり、ついに2013年産では2006年産の三分の一となる709トンにまで落ち込みました。そして、長年維持してきた全国一位の座を、静岡県に明け渡したのです。
近くの椎茸栽培農家は3・11以前は、毎年この時期になると、福島県から椎茸原木を購入していました。早朝、犬の散歩で里山に上っていくと、小さな山道いっぱいに福島ナンバーの大型トラックが止まっていて、福島訛りの運転手と声を掛け合ったものでした。前日、阿武隈山系で原木を積み込み、夕方伊達市を出発して早朝暗いうちに高崎に着いた、と言ってました。そのトラックも、2010年の春以来、当地に来ることはありません。この農家は、原発事故によって椎茸栽培の最も大切な生産手段を、奪われてしまいました。
そこで、地元の里山に生えるコナラやクヌギを伐採して、椎茸原木に宛てようとしました。しかし、2011年から12年にかけて、群馬県各地の原木生椎茸から規制値を超えたり規制値に近い放射性物質が検出され、原木生椎茸の出荷制限や自粛に追い込まれました。そして椎茸栽培農家は、地元のコナラやクヌギを椎茸原木として伐採することを、自粛せざるを得なくなりました。福島の阿武隈山系の椎茸原木も群馬県内の椎茸原木も、実質的に利用できなくなったのです。 2013年から15年にかけて、高崎市と周辺市町村の原木生椎茸からは、放射性物質は未検出か低水準の検出となり、椎茸原木の伐採再開となりました。久々に里山に活気が戻ってきました。チェーンソーが唸りをあげて、コナラの木を伐り倒していきます。時機を逸して大木となった木が混じります。木を伐採するのは、70歳を超えた高齢者がほとんどです。近くの小学校の空間線量率測定値は、2012年に0.12μ㏜/ℎだったのが、2015年には0.09μ㏜/ℎまで下がってきました。それでも自然放射能よりも3倍前後の値です。出荷制限や出荷自粛から解放されたとはいえ、安心しきるまでには至りません。
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