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2015年2月 9日 (月)

飯舘村は今

 (仮仮置場に積み上げられた除染廃棄物。飯舘村の酪農家・長谷川健一さん撮影。)Photo

 東日本大震災・福島第一原発事故4周年にあたり、今月末、「写真展・飯舘村PartⅡ」(日時:2月27日~3月1日、場所:高崎市吉井文化会館)を開催します。飯舘村の酪農家・長谷川健一さん撮影の50枚の写真は、仮設住宅の日常風景や本格化した除染作業の現状、原発ADR(原子力損害賠償紛争解決センターによる和解)の集団申し立ての動きなどについて、伝えます。フクシマを忘れず記憶しつづけていくための、私たちのささやかな活動のひとつです。
 昨年に引きつづき開催する写真展を機に、飯舘村の現状について整理しました。

 

 依然、全村避難つづく
 
 
 全村民6,720人のうち99%にあたる6,662人の人びとが、近隣市町村を中心に県内32市町村(6,181人・92%)と県外25県(481人・7%)に分散避難しています。未避難者58人のうち45人は、特別養護施設のいいたてホームの入所者で、同ホームの職員は村外から通っています。
 県内避難者の避難先住宅は、仮設住宅567戸1,062人、借上住宅1,472戸3,241人、公的宿舎166戸427人、いいたてホーム45人、その他559戸1,451人となっています。前年と比べると、借上住宅(△188戸)が減った分だけその他(+190戸)が増えました。帰村を諦めた転出者の増加を想像させます。
 3・11から4年目を迎えようとしている現在、飯舘村の地域社会は壊されたままで回復の展望はなく、家族は親子・夫婦バラバラの生活を強いられています。村民の怒りと悲しみは深まるばかりです。 
 放射線量は減少しても帰村は困難
 311直後の2011329日から継続して飯舘村の放射線量を測定しつづけている今中哲二(京大)グループのデーターを見ます。「村内空間線量率分布調査」(乗用車内で定点測定、車外は約50%増し)では、直近の2014/4/26の測定値は、平均1.1μSv/h,最小0.19μSv/h、最大4.4μSv/hでした。3年前の6分の1程度に減っています。では、これらの数値はどのような水準なのでしょうか。例えば一般人の立ち入りが制限されている病院の放射線管理区域は、時間換算で0.61μSv/h超えで設定されています。また、環境省の除染基準は0.23μSv/h(年間1mSv)。最小値の0.19μSv/hは、車外では0.29μSv/hと推定され、除染基準を上回ります。飯舘村はいまだ、高濃度の放射能汚染状態にあります。(なお原子力規制委員会による今年1月の測定では、34か所で測定され、平均1.4μSv/h、最小0.3μSv/h、最大4.2μSv/hでした。上記とほぼ同水準でした。)
 
遅れる農地と道路の除染、放置される森林除染
 
飯舘村は、帰還困難区域の長泥地区を除いた全域を、除染によって20163月に避難指示を解除する目標を立てています。除染の実施率は昨年12月末現在、住宅96%、道路17%、農地18%、森林33%となっています。住宅が先行し、その他は大幅に遅れています。しかも、放射線量の最も高い森林の対象面積は全森林の8%にとどまり、全森林面積を分母にした除染実施率は3%未満となります。森林の除染は事実上放置されたままです。
 除染のための除染
 除染効果はどうなのか。2012年に先行除染した草野地区の結果は次のとおりです。
                    除染前測定値  除染後測定値  除染率
     測定値平均       3.03μSv
/h    1.33μSv/h   56%
  除染率最大      3.66μSv/h     0.72
μSv/h     80%
  除染率最小   3.50μ
Sv/h   3.08μSv/h   12%
         
除染率=(除染前測定値-除染後測定値)/除染舞う測定値
 
最大で80%除染されましたが、除染後でもなお除染基準0.23μSv/hを下回ることができません。除染率最小のところでは、3.50μSv/hが3.08μSv/hとなっただけで、ほとんど効果がなかったといわざるを得ません。莫大な税金を使った除染作業に対して村民から「除染のための除染」とか「ゼネコンのための除染」と批判される所以です。(同地区26ポイントの測定結果は、除染前 平均3.03μSv/h、最大3.73
μSv/h、最小2.19μSv/h。除染後 平均1.33μSv/h、最大3.08μSv/h、最小0.72μSv/hでした。)
   このように飯舘村は、3・11から4年目に入ろうとしている現在もなお、原発事故直後
の深刻な事態は続いており、復興には程遠い現実にあえいでいます。こうした状況を、飯舘村の村民は、どのように見ているのでしょうか。昨年の11月16日
福島市内で、「もう我慢はしない!立ち上がる」のスローガンを掲げ、被害者らでつくる30団体が共催・賛同した「原発事故被害者集会」が開かれました。飯舘村からは、村民の半数に迫る2837人が国の紛争解決センターに申し立てた「原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団」のメンバーが参加し、発言しました。飯舘村村民の悲痛な声に、耳を傾けたい。
 
我慢の限界だ! 原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団・団長 長谷川健一さん
     3年8カ月、じっと我慢をして待っていた。国、行政が助けてくれるだろうと。しかし一歩の進展もない。我慢の限界だ。このまま黙っていたら東京電力、国によってわれわれ被害者は潰される。
 
すべてを破壊され 心まで汚染 原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団 菅野哲さん  あの美しい私たちの村、飯舘村が、消えてなくなろうとしています。無残な姿をさらけ出しています。・・・避難させられて3年半が過ぎました。何が変わったでしょうか。変わったのは、除染でフレコンバックが山積みになっている飯舘村だけです。生活をすべて破壊され、奪われました。その心が、村民には悲しい心としていつまでも残る。原発の放射能によって、心までも汚染されてしまったということです。

 

 

 

 



 

  


 

 

 

 

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