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2015年2月 1日 (日)

アウシュビッツ解放70年の日に、ハンス・ファラダ著『ベルリンに一人死す』を読む

1月27日、アウシュビッツ強制収容所がソ連軍によって解放され70年目を迎えました。この日、収容所跡ではホロコーストを生き延びた元収容者ら約300人が参加し、記念式典が開かれました。式典には、ガウク独大統領、オランド仏大統領、コモロフスキ―・ポーランド大統領などEU各国の首脳が出席する一方、プーチン露大統領とオバマ米大統領は欠席しました。歴史の和解と今日の対立のコントラストが、アウシュビッツ強制収容所跡にあいて、際立ちました。第2次世界大戦終結70年の節目の年の、最初の大きな記念行事です。

 

 

NHK・BS1は、27日~30日深夜(0.001.00)BS世界のドキュメンタリー】で『シリーズ アウシュビッツ解放から70年』を、次のとおり放映しました。いずれもこの日を記念するのに相応しいドキュメンタリー番組でした。ひとりでも多くの人びとがホロコーストの記憶を胸に深く刻みつけていくために、観てほしい番組だと思いました。

 『実録 アイヒマン裁判』Kuiv Productions、仏2011

 『囚人番号A26188~ホロコーストを生き延びて』Cowboy Films、英2013

 『ヒトラー・チルドレン~ナチスの罪を背負って~』Maya ProductionsWDR イスラエル/独2011

 『アンネの家を訪ねて』NOS EvenementenThe Media Brothers オランダ2014

この番組シリーズは、来週2月3日(火)~6日()の午後6時から再放送されます。

 

私はアウシュビッツ解放70年の日、ハンス・ファラダ著『ベルリンに一人死す』(みすず書房201411月刊)を読みおえました。ナチスの狂気と恐怖の凍りつくベルリンで、どこにでもいるような平凡な労働者夫婦がたった二人で、ささやかだが命がけの抵抗を始め、ついには処刑台に消えていった、という実際にあった事件を素材にした小説です。戦争直後に書き上げられた作品ですが、それから60年以上たって仏・独で「再発見」され、欧米でベストセラーとなったという稀有な本です。

 

ナチスドイツによってフランスが降伏した日、家具工場の職工長オットー・クヴァンゲルとその妻は、息子の戦死を知らされます。妻のアンナからひとり息子の戦死を「あんたとあんたの総統のせい」と非難され、日頃からナチス党の不正義を見ていたクヴァンゲルはひどく傷つけられました。政治には無関心で仕事人間だったクヴァンゲルは、息子の戦死をきっかけに、総統と戦争について考え始めました。クヴァンゲルとその周辺には、ナチスの狂気と恐怖が迫ってきます。戦死した息子の婚約者は、秘密を洩らしたとして反政府組織から自殺を迫られ、同じアパートに住むユダヤ人の老婦人は親衛隊やヒットラー・ユーゲントのやくざ者によって殺害されました。葛藤するオットーの考え出した計画は、ナチスへの抵抗を呼びかける葉書を書き、公共の建物にこっそりと置くというものでした。恐れながらも何か行動をしたいと思っていたアンナの「あんたがやろうとしていることはちょっと小さいのじゃないの?」という非難に対して、クヴァンゲルは「嗅ぎつけられたら最後、命はない」と答えます。著者のハンス・ファラダは、妻のアンナの思いを借りて、実在した反ナチス抵抗者の行為を次のように語っています。「小さかろうと大きかろうと、命をかけてやるからには同じだ。自分の才能と能力に応じたことをやればいい。大事なのは、抵抗することだ。」

 クヴァンゲル夫婦は、戦いの最初の葉書に次のように書きました。

 「母よ!総統は私の息子を殺した。だから今、この葉書を書いている。母よ、総統はあなたたちの息子たちも殺すだろう。この世のあらゆる家に悲しみをもたらしたとしても、彼はまだやめないだろう。」

また葉書の裏面には、次のように書きました。

「大勢が読めるように、この葉書を回覧して欲しい。冬期貧民救済事業に寄付してはいけない。作業効率をできるだけ落とそう。サボタージュしょう。サボタージュした分だけ、この戦争は早く終わる。」

こうして始まったクヴァンゲル夫妻によるささやかだけど極めて危険な反ナチス抵抗運動は、1940年から2年以上にわたって続けられました。しかし、葉書を発見したベルリン市民は困惑と恐怖に駆られ、ただちに警察に届けました。書かれた葉書285枚のうちゲシュタポに押収されなかったのは18通のみでした。夫妻の抵抗の言葉が、市民に広がることはありませんでした。やがて夫妻は、ゲシュタポによって逮捕され死刑判決を受けます。自分たちの抵抗に意味があったのだろうか? と自問するオットーに対して、著者は監房の同房者である指揮者ライヒハルト博士に、次のように語らせています。「自分のためになります。死の瞬間まで、自分はまっとうな人間として行動したのだと感じることができます。そして、ドイツ国民の役にも立ちます。聖書に書かれている通り、彼らは正しき者ゆえに救われるだろうからです。・・・私たちは一人一人別々に行動するしかなかった。そして、一人一人捕らえられ、誰もが一人で死んでいかなければなりません(この小説の題名はここから来ています)。・・・クヴァンゲルさん!正義のために死ぬより、不正のために生きるほうがいいのですか? あなたにも私にも、選択の余地はないのです。私たちはこういう人間だからこそ、私たちはこの道を選ぶしかなかったのです。」著者は、主人公クヴァンゲル夫妻のモデル、オットーとエリーゼのハンペル夫妻の抵抗に、強い共感の気持を表したのです。

 

小説は、クヴァンゲル夫妻が葉書を公共の建物に置く場面や、その葉書を発見した市民の困惑した様子をリアルに描きます。また、ゲシュタポが犯人を推定し追い込んでいくシーンは、スリリングです。ナチスの支配するベルリンの街で、正義と良識の人は姿を消し、狡猾・冷酷・邪悪な人びとが大手を振っている姿が、気分が悪くなるほど執拗に描かれます。監獄での拷問や死のシーンもまた、リアルです。著者はこの本のまえがきで、「嘘にならないようにするためには、これ以上明るく描くわけにはいかなかった」と述懐しています。

 

 この小説は、ドイツではどのように読まれるのか、興味深い。狂気と恐怖が支配したナチスドイツのもとで、コミュニストやリベラリストでない平凡な労働者のなかに抵抗運動をした人がいたことが記憶されるのか、あるいは夫妻の抵抗にかかわらず、ほとんどのベルリン市民が葉書に驚愕し関与することを恐れてゲシュタポに屈したことを記憶するのか。戦後直後に書かれた小説『ベルリンに一人死す』は、戦前・戦中ずっとドイツにとどまってナチスの蛮行を見つづけた著者ハンス・ファラダの、上記の両義性をもって戦後のドイツ人に宛てた遺書といえるかもしれません。本書を書き上げた3か月後に、著者は亡くなりました。

 

 

 

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