力あわせる200万群馬 さよなら原発アクション
昨日、高崎城址公園で開かれた「第4回さよなら原発アクション」の集会とデモに参加しました。会場に到着した時ちょうど、いわき市の女子高生グループがフラダンスを踊っており、脱原発集会には珍しくはなやかな空気が流れていました。
踊っていたのは、県立いわき総合高校のフラダンス・サークルの1年生5人。「アロヒ・ミノ・アカ」(輝く笑顔)というサークル名にふさわしく、彼女たちは白い歯を見せ、まぶしいばかりの笑顔を振りまきました。メンバーのうち二人は、福島第一原発のある大熊町からいわき市に避難してきた、と紹介されました。ひとりの生徒は、小学校6年生の時原発事故にあい、親子3人で会津へ避難したこと、親せきや友達がバラバラになったこと、を言葉少なくしゃべりました。もう一人の生徒は、風呂がなくトイレも不自由だった避難所での生活を話して、ともに涙ぐみました。 いわき市の高校生のあとに、藤岡市からきたフラダンス・グループが登場し、「おやすみ原発」という歌にあわせ、フラダンスを披露しました。こちらは、元気な高校生とはひと味ちがい、しっとりとした大人のムードで、参加者を喜ばせました。歌も踊りも、素晴らしかった。ネットで確認すると、歌は「南條倖司&まあファミリー」、フラダンスは「藤岡フラダンス・ビューティ」のみなさん。これまでも、高崎の脱原発集会に出演していたことを、初めて知りました。歌は次のように歌われました。
おやすみ原発 しずかに眠れ
おやすみ原発 しずかに眠れ
おやすみ原発 しずかに眠れ 眠れ
ゆたかに暮らした ゆたかに暮らした
原子力にたよらずに 原子力にたよらずに
ゆたかに暮らせる ゆたかに暮らせる
原発なくなって
今こそ今こそ 未来は変わる
今こそ今こそ 未来を変えましょう
目を閉じて感じよう めぐっていく世界を
イメージしょうよ 未来への旅路
なぜ なぜ なぜ
いのちが大事 いのちが大事だから 大事だから
山も木もお日さまも 森も川も海も風もあなたも
みんなともだち みんなわたし
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おやすみ原発 しずかに眠れ
おやすみ原発 しずかに眠れ
おやすみ原発 しずかに眠れ 眠れ
「おやすみ原発 しずかに眠れ」のリフレインが歌われると、踊り手たちは目を閉じ、両手を左ほほにあてて、静かに眠りました。高校生たちも女性たちも、美しく穏やかに眠りました。その顔は一様に、原発が永遠の眠りに着くことを希求する、女神たちの祈りの表情でした。 集会ではまず、事故後の福島原発で作業した労働者が証言しました。廃炉作業に携わる原発作業員の格好で登場した67歳の男性は現在、嬬恋村で避難生活を送っていると自己紹介し、たどたどしい話しぶりながらも、現場を経験した者にしかわからない労働実態を語りました。ハローワークの紹介で、原発労働に関わった。除染作業・社会保険完備と聞いていたのに、実際は福島第一原発内での汚染水を貯めるタンク造りをさせられ、健康保険も厚生年金も一切なかった。しかし、労働条件について不平をもらしたら即刻、自宅待機を命ぜられ、実質的に解雇となる。だから、誰一人として不平不満を公言しない。労働者は、20代の若者が二割ほどおり、またやくざ者も多かった。ほとんどが、未熟練労働者だった。安全ベルトは、現場監督に叱られるから着用するのであって、自分の命を守るために着用する意識はない。だから、タンクからの転落事故死が起こったのだ。原発事故現場で働いていた男性は、このように語りました。 次に、南相馬市の曹洞宗寺院の住職、田中徳雲さんが登壇し、語り始めました。田中さんは、福島第一原発から17㎞の位置にある同慶寺で被災し、すでに原発と放射能の怖さについて学んでいたため、3・11直後、これはだめだと直感、地域の人びとに即刻の避難を呼びかけるとともに、家族5人で福井県まで避難した。放射能への恐怖心があったが、寺と檀家の人びとを放っておくことができないので、その後、福井・福島両県の間、片道800㎞を何度も何度も往復することになった。そして福島での滞在が長くなるにつれ、バラバラになった家族は耐えられなくなり、放射能にやられる前に家族が崩壊する危機をむかえ、一家で帰郷しいわき市に避難することになった。
田中さんの話の中で、「いもむし」の話が大変印象に残りました。芋虫は植物の葉っぱを貪るように食べます。食べ尽してしまうのではないかと思うくらい。しかし、ある程度食べると、芋虫は進化(「変態」のことをこのように表現された)して蛹となり、やがて蝶に進化します。その蝶は、花の蜜を吸い同時に脚に花粉をつけ、植物にとって最も大切な受粉を手伝います。その結果、植物は新しい命を育みます。進化せず芋虫のままでいたら、やがて葉っぱを食い尽くし、芋虫自身も餓死するでしょう。人間も、進化せず欲望のおもむくままに突っ走り資源を食い尽くしたら、地球を破滅に追いやるでしょう。
だいたいこのようなことを、いまだ年若い住職は語りました。そして最後に、ギターを奏でながら、お釈迦さまが作詞したという「慈しみの歌」を歌いました。その歌は、
シャンティー シャンティー
すべての生きものたち 幸せになれ
一切の生きものたちを 慈しめ
と歌い上げました。田中さんは、知的で情熱あふれるご住職で、なかなか魅力的な人でした。 フラダンスで始まりお釈迦さんの歌で終わった集会は、今まで何度となく参加した脱原発集会とは異なり、ステレオタイプから解放され、自己陶酔する演説者もなく、何か晴れ晴れとした気持ちのいい集会でした。朝からの寒々としどんより曇った空模様も、デモに移るころには晴れ間が見え、暖かくなってきました。思いの外参加者も多く、昨年や一昨年と比べて決して減っておらず、脱原発運動の衰えない持続力に、同行の妻ともども、すこしうれしくなりました。
(高校生のフラダンスの写真は毎日新聞で報道されており、また他のフラダンスとご住職の写真も、すでに他のサイトで複数回アップされているので、私の撮影写真をそのまま掲載しました。)
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