孫歌著『北京便り 中国の真の面影』を読む
実は前回の記事は、孫歌著『北京便り 中国の真の面影』の紹介を意図して書きはじめたのですが、結果的に、この本とは直接関係のない竹内好の著作に関する記事となってしまいました。竹内好が1960年代、時の政府の反中国政策を向こうに回し、日本の人びとの中国理解を促す目的で「中国を知るために」を書きつづけたように、孫歌氏は国家間の緊張と日本社会で反中意識が高まるなか、日本の読者に対して普通の生活人の中国の姿を見て欲しい、中国の体温を届けたいと願い、2009年から2013年までの約4年間、日本語による「北京便り」を『図書』(岩波書店)誌上に隔月で寄稿しつづけました。しかも、彼女は日本政治思想史研究者として、竹内好に(「竹内好が黙って座りながら私を眺めているという幻覚(p.109)」を見るほどに)敬愛の念を抱きつつ、卓越した読み手として竹内好の著作を読みつづけてきました。こうした因縁を書くつもりだったのです。長い前書は、ここまで。
24回の連載の内容は、エッセー「北京便り」の表題にふさわしく、農民や労働者の生活のこと、漢方のこと、食生活のこと、大雨被害のこと、台湾訪問記、農村の建物のこと、などなど多彩な話題がいっぱいです。題材は多様ですが、著者は一貫して、成熟した中国社会を探りだし、庶民の生活のなかに「もうひとつの生き方」を発見することに意欲的です。
著者は「散歩」という新しい社会現象に注目します。それは、具体的な訴えを目的とした、大通りでの千人か万人単位の随意な歩きを指します。たとえば、2007年、厦門市政府の科学工場建設計画に対し、大勢の厦門市民は黄色のリボンをつけて大通りに集まり、静かに「散歩」しました。その結果、市政府は再検討を迫られました。この緩やかな抗議方式によって、2007年はネット上で「散歩元年」と言われたという。著者は「散歩」を、次のように評価します。「デモとは異なり、散歩はそもそも激しい対抗姿勢ではない。・・・決して「反政府」「反体制」ではなく、むしろ政府や体制のやり方を「正す」ことで、社会の改革を進ませるという役割を果たしている。2005年の反日デモと比べれば、散歩元年以来の市民運動は、もう一段と成熟してきた」。
中国社会の成熟は、政治や市民運動だけではありません。著者は、テレビドラマにおける「日本人イメージ」の変化にも注目します。30年以上前の映像化された日本人は、ほとんどが「淫乱の獣」のような軍人でした。しかし、最近のテレビドラマに登場する日本人は、生活者としての日本人であり、なかには英雄として登場することすらあります。また日本人俳優も多く出演し、日本語と中国語が大量に使われている。「30年がたって、描かれる日本人のイメージは豊かになってきた。軍人だけでなく普通のお百姓も登場するし、軍人も含めて彼らの生活感覚や感情世界が描かれるようになった。要は「人間としての日本人」がドラマのイメージとして定着してきた」と著者は指摘します。そして、「普通の中国人の政治感覚は徐々に豊かになってきて、もう単純な「中・日」イメージでは満足できなくなっている」と、中国社会と日中関係の変化を読み取っています。私たちも、「中国人イメージ」を海上保安庁の巡視船に船体をぶつける反日運動家や日系ショッピング・センターを襲撃する暴徒だけで描こうとすると、およそ歪んだ中国および中国人イメージを持つことになります。著者が、普通の中国人の「日本人イメージ」の変化と豊富化のなかに中国社会の政治的成熟を見ているように、私たちも日本人が描く「中国人イメージ」の多様化・豊富化によって、日本社会の政治的成熟度(あるいは未熟度)を自覚しなければなりません。
本書のもう一つの特徴は、著者が庶民の生活のなかに、「もうひとつの生き方」のヒントを探し出すことに意欲的なことです。そのひとつが「山寨版」または「山寨文化」のこと。
中国の2008年の流行語になった「山寨版」は、コピー商品のこと。「山寨」は『水滸伝』の梁山泊のようなもの。庶民の味方の英雄を示唆します。著者は、ノキアの携帯電話のバッテリーを買い替えようとしたとき、この語彙に出会いました。電気専門店を訪ねた著者は、そのバッテリーが既になく、店員から熱心に買い替えを勧められました。しかし、携帯電話は壊れてもいないので買い替えに納得できず、雑貨市場で「山寨版」を求めることにしました。見たこともないメーカー製品でしたが、彼女のノキア携帯にぴったり合い、それは生き返りました。この経験から、孫歌氏は思考します。
独占資本による世界システムは、「ブランド品消費」「使い捨て」「買い替え」という常識から成り立っている。しかし山寨文化は、「使いやすさ」「手ごろな価格」「使えるものを生かす」といった価値観をもって、庶民の生活を支えている。それは、大多数の人間に「独占されたものを、自分なりの形で「分有」する、という価値観を育てている」と評価します。「分有」するは、「分け前にあずかる」ほどの意味でしょうか。そのことによって、庶民の権利意識や責任意識へと成長していくのではないか、と著者は期待します。
「もうひとつの生き方」のヒントを、原住民を対象に展開してきた台湾の建築士、謝英俊さんの建築様式の中に見い出します。「謝式建築」の基本的パターンは、「軽い金属の支柱で簡素な三角形の屋根を組み立て、その下にアドベ(日干し煉瓦)で壁を作り、そこにドアと窓を金属とガラスで作り込む」という極めて簡素な建物。謝英俊さんは、「簡単にできかつ実用性に富んだ家作りにこだわり続ける。彼は家の精密な部分だけは少人数の専門技師にまかせ、その他の部分はすべて素人の手で作るという。このような家の建て方はコストが低いし、地震などの災害のときにも、鉄筋コンクリートの家などより人身の安全に対する脅威は小さいという」。これは、今日の市場原理とは異なり、資本の原理に対抗している。謝建築士は「下層の勤労者の地味な生活や労働態様の中に、建築の将来的可能性を見出したかった」のだと、著者は指摘します。そして謝建築士の簡素な建物へのこだわりとねらいを、次のように総括しました。
「人間が簡素な生活を追求するのは、お金がないからでもなければ、モダンな生活に飽きたからでもない。そもそもこの地球上の人間社会は、いま病的に贅沢な生活を営んでいて、行き詰まる日も遠くないと思われるからだ」。
以上、本書の主要なテーマの「成熟する中国社会」と「もうひとつの生き方」の二項について紹介しました。しかし本書の本当の値打ちは、中国の庶民の暮らしが生き生きと描かれていること、というべきかもしれません。その中国の庶民は、日系ショッピングセンターを襲う「反日」暴徒でもなく、秋葉原や銀座で「爆買い」に走る観光客でもない、私たちの隣近所で暮らしている日本の庶民と同じように、普通の人びとです。一読をお奨めしたい。
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