区長の仕事を終えました
3月末をもって、地区役員を退きました。6年前、60戸からなる行政区の総会で環境保健委員に選出され、その後区長代理を経て2年前に区長となっていたもの。これらの役員は、地区から選ばれますが、形式的には市から委嘱をうけた非常勤の特別公務員の位置づけです。市からは、広報など文書の配布と市民の市への要望連絡などが要請され、一方、市民からは、地域行事のまとめ役、苦情や相談の窓口または相手となることが期待されます。6年にわたる地区役員の経験から、いくつか感想を書き留めておきたい。
1.「区」という名称について
通常、行政区のことを「区」あるいは「町内会」と呼びます。この地は、里山に囲まれた農山村であるため、「町内会」の名称はふさわしくなく、もっぱら「区」と称している。しかし、これは行政から与えられた名称で、何となく自分たちのコミュニティを指す言葉として、馴染めません。地区の自称名を長老に聞くと、「村」でもなく「部落」でもなく結局、「区というのかな?」の返事。「わが村」「村の長老」「村の伝統」など「村」と自称できないことが、歯がゆい。もっとも、町村合併によって村から町に変わったのが60年前、そして町から市に変わったのが6年前のこと。農山村であっても「村」とは自称せず、他人事のように「区」と称し、「村民」ではなく「区民」と言う。
2.「区」の組織について
この地に越してきた約30年前には、年1回のとなり組の総会(春祈祷という)で、次年度の組長、農事担当、衛生担当、寺と神社の役員などが、輪番制で決められました。しかし、今年の春祈祷では、組長を決めたのみ。ほぼ全戸が加入していた農事組合(農協の末端組織)は数年前に解散し、年金・健保の掛金徴収は20年前には既に廃止され、寺の檀家や神社の氏子の組織は役員の成り手がなく、行事も年1,2回のみ。以前は、これらの組織が区のなかで、渾然一体となって存在していたのですが、現在では区は、「行政区」に特化してしまったといってよい。したがって、区が活動しなければ、地区は無組織状態に溶解し、人びとのつながりも希薄化するばかりです。(6戸から12戸で組をつくり、その組が集まって区を構成している)
3.区長の仕事
区長のルーティン・ワークは、月2回の市広報や回覧文書を組長へ配布することと各種ポスターの掲示です。これは、淡々とこなせば、何ら苦労はありません。しかし、区民からの苦情や要請は、すこし勝手が違います。市は、個人的なこと以外はすべて、区長を通すように指示します。だから、台風や大雨で樹木が倒れたり崖崩れがあったりすると、区民から区長に電話が入り、市役所へ連絡します。そして、風雨のなか現地立会いとなり、後は行政の仕事なので、さほど苦労はない。問題なのは、土地所有権にからむこと。里山の道普請や荒廃した竹林整備をしょうにも、すべて地権者の合意がなくては実行できません。しかし、地権者が遠方に住んでいたり、区活動に非協力的な場合は、ややこしい。あるとき、降雪で市道に倒れた篠竹を伐採した時、地権者が私の家を訪ねてきて、勝手に篠竹を伐採したといって抗議しました。
4.続・区長の仕事
地区の高齢者が、月1回公民館に集うサロン活動を立ち上げて、4年目となります。きっかけは、80歳を過ぎた一人暮らしの男性の連続孤独死でした。ひとりは風呂場で亡くなっており、もひとりは山林で丸太を抱きかかえたまま亡くなっていました。「10年後の私たちの姿」と危機感を抱いた、主に60代後半の女性が発起人となって、サロンを立ち上げたのです。現在ではすっかり定着し、毎回20~30人の高齢者が、開始定刻の30分以上前から公民館にやってきて、おしゃべりやゲーム、体操を楽しんでいます。サロンのお陰で、地区のほとんどの高齢者の顔と名前を覚え、道端で会ったときも気軽におしゃべりします。
この他、区長はじめ役員は、地区の道路清掃、里山の竹林整備、小学校裏山の里山づくり、等々のボランティア活動に率先参加します。また区長は、区民が亡くなったときは区の代表として葬儀に参列し、遺族のつぎに焼香に立ちます。小・中学校の卒業式にも来賓として招待されます。
5.区の予算
こうした活動を支える予算について、2014年度決算書から概算金額をみます。
収入合計100万円。その内訳は、区費20万円、市補助金48万円、繰越金32万円。市補助金の中には、区長、区長代理、環境保健委員への事務委託料20万円が入っています。これは、市の広報活動や環境活動(不法投棄防止)に対する委託料です。これ以外の補助金は、道路清掃活動(除草、側溝清掃等)やサロン活動等への助成金と街路灯電気料金助成金です。活動助成金は文字通り、活動しなければ得ることができません。
支出合計63万円。その内訳は、活動費20万円、公民館および街路灯管理費(水道高熱費、修繕費等)13万円、外部賦課金・寄付金10万円、役員手当20万円。残りの37万円は、次年度へ繰り越し。
大雑把に言って、活動費は市からの助成金によって賄い、公民館・街路灯管理費と外部団体賦課金を、区民からの区費で賄っています。区の活動がいまほど活発でなかった数年前は、区費だけで管理費や賦課金の固定費は足らず、毎年、単年度赤字で繰越金を徐々に減らしていました。ここ数年、区の活動が活発になるにつれ、市からの活動助成金が増えて区の会計に余裕が出始めました。道路清掃などの全区民参加のボランティア活動に対する助成金は、区会計にとっては、区費とともにもっとも重要な財源となっています。
6.公民館改善のこと
区役員になって区の公民館に出入りする機会が増えました。戸数60戸の小さな区なので勿論、公民館も無人の小さな建物です。気になることが2点ありました。会議用の座卓テーブルと壁いっぱいの賞状額。テレビや映画で見る農山村の公民館のほとんどが、この両方を備えています。公民館の原風景を構成する主要な要素かもしれません。しかし、使い勝ってのよい公民館にするためには改善が必要、と他の役員を説得し実行しました。
まず、高齢者のサロン活動を始めるにあたり、座卓テーブルの脚を長い脚に付け替え、椅子を使う会議用テーブルにリニューアルしました。これは、大工お宅の家内の仕事でした。完成したテーブルを、元大工のSちゃんから褒められ、家内は満足しました。また、サロンに集まるお年寄りからも、区総会に集まった若い世代からも、大好評でした。そして何よりも、腰痛とひざ痛の始まった私自身にとっても、大助かりとなりました。
もうひとつの改善事項は、額縁の整理。公民館の壁にところ狭しと掲げてある額縁入り賞状の内容は、体育祭や駅伝大会の表彰状、養蚕や椎茸栽培の農業に関する表彰、農協の共済金目標達成表彰などが主なものです。古いものは1950年前後のもので、額縁から取りだしてみると、紙はこげ茶色に変色して劣化し、ポロポロと崩れました。もっとも新しいものでも、1990年代のもの。公民館の大掃除をした際思い切って、これらの賞状額を片づけることにしました。「これは総会にかけるべき」との声が聞こえてきましたので、取り去った賞状類をファイルに保存し、次の総会で事後承諾を得ました。公民館の壁は、すっきりしました。
他所から越してきた私たち家族(60戸のうち外来者は2戸のみ)を、こころよく迎い入れてくれ、また恵まれた農業や自然環境を享受できたことへの感謝の気持から、区の役員を引き受けて6年、どうやら無事に役割を果たし終えることができました。
« ヤマザクラを愛でる―高崎・観音山丘陵にて― | トップページ | 鎌仲ひとみ監督作品『小さき声のカノン―選択する人々』 »
« ヤマザクラを愛でる―高崎・観音山丘陵にて― | トップページ | 鎌仲ひとみ監督作品『小さき声のカノン―選択する人々』 »
コメント