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2015年5月27日 (水)

金 時鐘 著『朝鮮と日本に生きる―済州島から猪飼野へ』を読む

従軍慰安婦問題や産業革命遺産群の世界遺産登録など、歴史認識にかかわる韓国からの執拗な日本批判は、どこから来るのでしょうか? それは、韓国の人びとが記憶しつづけ、日本人が忘却してしまった日韓(日朝)の歴史の核心、日本の朝鮮植民地統治にあります。私たちはいま一度、この植民地支配の歴史に、真摯に向き合わなければなりません。〈在日〉詩人・金時鐘氏の回想録『朝鮮と日本に生きる―済州島から猪飼野へ』(岩波新書、2015/2/20刊)は、金時鐘氏の86年間の朝鮮と日本での凄絶な生き方を通して、日本の植民地統治の「業の深さ」を教えてくれます。

日本の植民地統治は、朝鮮の固有文化を枯渇させました。その中心に言語政策があり、朝鮮語による創作や使用は禁止されました。金少年は、「皇国臣民」となるため日本語を学び、日本のやさしい歌を愛誦しました。情感豊かな日本の抒情歌や近代抒情詩に包まれて、少年は「植民地の皇国少年」となりました。

金氏は、皇国臣民となった少年時代を振り返り、次のように述懐します。「人間が変わるというのは・・・過酷な暴圧や強制によってよりも、むしろもっとも心情的なごく日常次元のやさしい情感のなかで・・・そうなってしまう」と。

15歳の金少年は、済州島で日本の敗戦を落胆と涙で迎えますが、しかしそのときから、皇国臣民としての軛(くびき)から解放され、母語を学びはじめます。

「はじめに言葉ありきで、自分の意識を紡ぎだすそもそもの言葉のはじまりが宗主国の「日本語」であった以上、植民地の頸木を解いたという「8.15」は当然、私を差配していた言葉との格闘を新たに課した日でもあったのです。」 

1948年、アメリカは南朝鮮だけの分断国家樹立に向けた単独選挙を、強行します。青年となった金時鐘氏は、この単独選挙に反対して起きた武装蜂起に加担し、やがて生命の危機が迫り追われる身となりました。警察・軍・右翼団体は、「アカ狩り」を掲げてこの武装蜂起を武力鎮圧しますが、この過程で3万人以上の島民を虐殺しました。「済州島四・三事件」です。

「反共の大義を殺戮の暴圧で実証した中心勢力はすべて、植民地統治下で名を成し、その下で成長をとげた親日派の人たちであった」と植民地統治の業の深さに、歯噛みします。「解放」後の朝鮮の人びとを襲った民族分断と犠牲の数々は、日本による植民地統治の延長線上で起こったことでした。

金青年は、両親と故郷を捨てて密航船で日本へと渡り、大阪の猪飼野で〈在日〉として生きていくことになりました。金氏は、〈在日に生きる〉という意味を、次のように記します。

「私を結わえている運命の紐は当然、自分が育った固有の文化圏の朝鮮から延びています。ところが一定以上の知識を伸びざかりの私に詰め込ませた日本という国もまた、別の基点となって私の思念のなかへ運命の紐を延ばしています。・・・日本で生まれ育った世代たちだけが〈在日〉の実存を培っているのではなくて、日本に引き戻されてきた私もすぐれて、〈在日〉の実存を醸成している者のひとりなのです。まさにそれが私の〈在日〉であることに気づきました。日本で定住することの意味と、在日朝鮮人としての存在の可能性をつきつめて考えるようになった〈在日を生きる〉という命題は、こうして私に居座ったのでした。」

金青年が大阪で出会った「傘直しのおっさん」と「セーラー服の女学生」のエピソードは、在日の人びとの暮らしのきびしさと、金時鐘氏のこよなくやさしい一面を表し、印象深く心に残りました。

 「傘直しーいィィ」と済州島訛りの日本語で物売りをする、風采のあがらない初老の男をみて、金青年は、電気にでも打たれたように、タイムスリップしてしまいました。済州島でさいさい見かけた、傘直しのおっさんだったのです。「解放」後の済州島では、日本語を使うことはもってのほかの空気でしたが、「ところがあのおっさんだけはまったくもってお構いなしで「こうもり傘直しーいィィ」と、半ば呻くようななんとも耳ざわりな売り声の日本語で辻々を歩いていたのです。それでも咎める人など誰ひとりいない、孤影悄然の引揚者でした。」そのおっさんを猪飼野で再び見たのです。「奇異な巡り合わせ」でした。このおっさんは、済州島→猪飼野→済州島→猪飼野という行跡を辿ったことを、想像させます。もしかしたら、日本で生を受けた在日二世かもしれません。「解放」後、帰ってきた故郷には仕事はなく、再び日本へ戻って、極貧の生活を強いられた〈在日〉のひとりです。

 金青年は、バス停からバスに乗り込もうとしていたとき、夏の装いのセーラー服の女学生から、いきなり洗いざらしのカッターシャツを差し出されました。青年は、「お父さんのお古です。使ってください」という女学生から赤らむ顔を背けて、プイッとバスに乗りこんでしまいました。人混みのすき間から立ち尽くしている彼女を垣間見ました。金時鐘氏は、この記憶に「今でも折にふれ心がうずく」と振り返ります。金氏が、両親や故郷を離れ、〈在日〉として生きながらえた秘密は、こうした経験にあるのかもしれません。

 

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