地方の町での小さな憲法集会
先週末、吉井九条の会主催の憲法講演会が、町の公民館で開かれました。高崎市郊外の旧吉井町の住民からなるこの会は、井上ひさしさんや大江健三郎さんたちの呼びかけから二年後の2006年夏に立ちあがりました。この日の講演会には、会員など47名の市民が集まり、熱心に講師の話に聴き入りました。参加者が何時もより多く、人びとの危機感の強さを感じました。講師は、「明日の自由を守る若手弁護士の会」の村越芳美さん。演題名は『私たちの生活と憲法~これからの日本はどうなっていくのか~』。村越さんはおそらく、参加者の平均年齢の半分よりさらに若い弁護士さん、のようでした。
講演会の冒頭、体調がすぐれないという代表者に代わり、ピンチヒッターとして開会挨拶を任され、概ね次のようなことを話しました。
今年の夏、四つの大きな政治決戦が一挙に、私たちに迫っている。戦争法案の強行採決、川内原発の再稼働、辺野古新基地建設工事の着工、そして8・15戦後70年首相談話の発表。これらのすべてが、日本国憲法の理念に真っ向から対立し、その条文に明らかに違反しており、反国民的で道理にはずれた無理な政治である、と指摘しました。そして、無理だからこそ、安保法制=戦争法案の国会審議における安倍首相や閣僚の答弁と弁論は、不誠実で傲慢で無知なことをみずから、曝け出さざるを得ない、と批判しました。
講師の村越芳美さんは、講演の初めに「立憲主義」について話しました。
権力は暴走する可能性を秘めている。その権力に歯止めをかけるのが、憲法である。憲法を守る義務は、権力を持つ政治家、官僚、公務員にこそあり、国民にはその義務はない。立憲主義について、このように歯切れよく話しました。つづいて解釈改憲による「集団的自衛権の行使容認」について説明し、それは「権力による憲法泥棒」(小林節氏の言葉)だと批判、この解釈改憲を許せば、9条以外にも波及する懸念がある、と指摘しました。このあと、現在国会で審議中の安保法制関連法案について、丁寧に説明しました。講演の最後に、憲法を守るために「今、私たちにできること」として、次のような不断の努力を、参加者に訴えました。
ファッション誌、生活情報誌、テレビ、新聞などに、取り上げてほしいテーマとして、憲法・集団的自衛権・秘密保護法などを、熱くリクエストする。
また、関心がありそうな芸能人・著名人にもアッピールし、Twitterでの発信を依頼する。ちらっとでも発信したら、絶賛応援する。
文房具売り場の試し書用の紙に、「日本国憲法を守ろう」などの意見を書く。
また、こんなアイデアも披瀝しました。
新聞勧誘や訪問販売のひとに対して、憲法問題を語りかけてください。そそくさと退散してもよし、話を聞いてくれれば、なおもよし。どちらにしても結構なこと!
講師の村越弁護士は、「明日の自由を守る若手弁護士の会」のメンバーだけあって、発想は自由かつ闊達、大変勉強になりました。
今回の講演会用に作成した資料集のなかに、文部省の発行した教科書『新しい憲法の話』の前文と第9条の説明文を掲載しました。この教科書は中学1年生用に、日本国憲法が施行された1947年8月に発行されました。しかし米ソ冷戦にともなう逆コースにより1950年4月に副読本に格下げ、1952年4月からは発行されなくなりました。政府の憲法軽視と改憲策動はすでに、このころから始まったのです。ここに「戦争の放棄」の項を引用します。第9条についての国民の学びの原点に出会った感じがします。(この『新しい憲法の話』は、ネットの「青空文庫」で閲覧することができます。)
みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるかめになるからです。
また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。(以上『新しい憲法の話』からの引用)
追記:講演会二日前の朝日新聞朝刊の「論壇時評」で、作家の高橋源一郎さんが、日本を代表するラッパーShingo2(シンゴツー)の「日本国憲法」という曲のことを、紹介していました。高橋さんは、「専門家ではないひとりのミュージシャンが、憲法について全力で考えようとした、という事実にも、ぼくはうたれた」と熱く語っています。講演会の朝、私はYouTubeで、Shingo2(シンゴツー)の「日本国憲法」を聞きました。このラッパーの真剣さと誠実さを感じました。そして、ひとりでも多くの皆さんに聞いて欲しい、と思いました。
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