安保法制反対デモ 敗北と希望と―朝日歌壇の短歌から―
昨日の朝日歌壇は、9月19日深夜、強行採決され成立した安保法制=戦争法を詠んだ歌が、4人の選者によって多数選ばれました。選者のひとりが明かすように、「こちらがたじたじとなるほど多くの投稿が寄せられた」ためでした。いま、戦争法案に反対した多くの人びとは、この夏の闘いの日々を思い返し、敗北の虚しさを抱きながらも、いまだ希望をなくすことなく、戦争法の発動阻止と廃止によって、戦後、日本社会が持ちつづけてきた非戦平和の道をふたたび、真摯に模索しはじめています。朝日歌壇上に戦争法を詠った歌人たちも、そうした人びとの一群であるはずです。微力ながらもともに闘ったもののひとりとして、これら胸を打つ歌の数々を、ここに記録しておきたい。
① 行く行かぬ 行けば行くとき 行くべきか 行くならばいま 国会前へ
(武蔵野市)田島千代
② 平和なる 大きなデモの 現場にて 兵馬俑のごと 警官の立つ
(登別市)松木 秀
③ 埋めつくす 汗の匂いや 安保デモ 廃案叫び ペンライト振る
(春日部市)藤岡文夫
④ 寝たままで スクラム組みて 抵抗す 引きずられるなかに 老女の声
(ホームレス)坪内政夫
⑤ 国会の デモに降る雨 土の中 深く染みこむ 忘れはしない
(福生市)斉藤千秋
反対の声を、いつ・どこで・どのようにあげればいいのか。私は、高崎市郊外の小さな町で憲法学習会を開き、高崎市役所まえで開かれた県レベルの集会に参加し、高崎駅前でビラを配布しました。そして、「行く行かぬ」と迷いながらも、100㎞離れた国会前へ、「行くならばいま」と小さな決断をして8月30日、あの12万人の人びとで埋まった国会前に立ちました。第一首の田島さんに共感します。
その国会前で、はるか800㎞の彼方から駆けつけた松木さんが見たものは、無抵抗のデモ隊を威圧する警官の群れでした(第二首)。政府は、二列に並んだ機動隊と警察車両によって、デモ隊を国会から遮断しました。強烈な警察国家のイメージ。ホームレスの坪内さんが聞いた老女の声は、キャンプシュワブ基地ゲート前で座りこむ老女たちの声に共鳴したはずです(第四首)。9月12日の国会前は、「辺野古新基地NO」のプラカードを掲げる人びとで埋まりました。
9月17日の夕刻、国会前は土砂降りの雨でした。ほとんどのデモ参加者が雨合羽を着たまま、まんじりともせず、そこに立ちつづけました。その前後の数日も、雨の日々でした。そして、9月19日の深夜、安保法制は可決・成立しました。斉藤さんの「デモに降る雨」(第五首)の記憶は、戦争を可能とした安保法制につらなり、デモ参加者の胸奥に深く染みこんだことでしょう。
⑥ 安保法 成りてしまいし 秋の夜の 冷えしナイフを 立てて剝く栗
(水戸市)中原千絵子
⑦ 憲法を 踏みにじられた この国で 社会科の教師 である虚しさ
(東京都)中村兵夫
⑧ 戦いを 放棄したる この国が 戦前となる 九・一九
(安中市)鬼形輝雄
⑨ 主権者の 意に非ずとも 鞘走る 妖刀と思う 安保関連法
(大阪市)由良英俊
⑩ 早速に 歯車回り 始めたり 百足が脚を 伸ばす如くに
(水戸市)檜山佳与子
日本を殺し殺される国とする安保法制の成立は、多くの日本国民に、落胆と空虚と恐怖の感情を催させました。不誠実と反知性を恥じない安倍自公政権にとって、誠実であれ、知的であれと生徒の前に立つ教師たちの苦悩は、およそ理解の外にあるのでしょう。教師たちの空虚感は、いや増すばかりだと想像します。安保法制を「鞘走る妖刀」(サヤバシルヨウトウ、第九首)と表現した由良さんの恐怖と危機の感情を、安倍晋三とその一派への憎悪と軽蔑の感情とともに、心にとどめます。広辞苑は「鞘走る」を「刀身が鞘から自然に抜け出る」と解します。いまや戦争は、容易に九条のしばりを抜け出て、何時走りだしてもおかしくない状況となった、といえるのです。政府は安保法制成立後ただちに(正しくは法制成立以前から)、南スーダンPKOの任務拡大、日米合同軍事訓練と共同戦争計画の作成、オスプレイ・イージス艦・新型空中給油機の取得などによって、戦争できる国家への道を、着実に歩み始めました。まさに「歯車回り始めた」のです(第十首)。
⑪ デモの列に はじめて並んだ 遠い日の わたしが重なる SEALDSの少女ら
(三島市)浅野和子
⑫ 「アッベはやめろ」 ラップで叫ぶ 学生ら 希望なるかな 個なる連帯
(東京都)荒井 整
⑬ ありのまま 自分のままで 連帯す 六十年には 見られなかった
(大和高田市)森本忠紀
⑭ 空しきに 耐えて若者 デモ終えし 荒寥広場の 清掃するなり
(羽村市)草間暁男
冷たい雨が降り濡(そぼ)つなか、国会正門前の解放された道路を埋め尽くした群衆のひとりとなった私は、国会議事堂を正面に見据えつつ、若者の発するシュプレヒコールに唱和しました。すると胸の奥の方から、何か熱いものが思わず、こみ上げてきました。私の心身はあきらかに、興奮し感動していました。久々に体験した、若い人たちが先導し年老いた者たちが従っていく、反戦と民主主義を求める大きな大きな民衆運動でした。朝日歌壇へ投稿した歌人たちも、戦争法案に反対する若者たちの姿に共感し、そこに希望を見出しています。戦後70年、日本社会は「すべて国民は、個人として尊重される」と規定した日本国憲法(13条)をわがものとし、他に強いられない個が自由に連帯する人びとを生み出しました。未来への希望は、ここにあります。
最後に、歌壇と同ページに併設されている「朝日俳壇」から一句。
NO WAR 人文字の一人 秋の空 (山口市)浜村匡子
選者の金子兜太さんは、「その人文字の美しさよ」と短く評しました。
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