カンタータ『悪魔の飽食』-人権と不戦のコンサート-
日曜日の午後、前橋で催された【カンタータ『悪魔の飽食』-人権と不戦のコンサート-】を聴きに行きました。日本人の加害者としての体験に向きあおうとする大変困難な取り組みでしたが、約二千席の県民会館大ホールは、ほぼ満席となる大盛況で、実行委員の皆さんの奮闘ぶりを窺わせました。
コンサートの第一部は、レクイエム「ハンセンの詩(うた)」。昨年亡くなられたハンセン病元患者で詩人の谺(こだま)雄二さんが作詞した「命かえして」を、地元群馬の合唱団が歌いました。この歌は、強制的に中絶させられたハンセン病患者の胎児に捧げられたレクイエム(鎮魂歌)でした。
🎶 母さんどこ?
父さん来て!
ボクはホルマリンに漬かって瓶の中
ワタシもホルマリンに漬かって瓶の中
ここは いつだって夜
・・・・・・・・ (「命かえして」の冒頭部より)
静寂のうちに合唱がはじまり、そしてすぐに、ホルマリン漬けの瓶が歌われ一瞬、ぎょっとしました。しかし、鎮魂歌が歌いつづけられるうちに、強制中絶させられた母や父たちの深い悲しみと嘆きの声が、伝わってきました。ハンセン病患者の隔離と強制堕胎に、ユダヤ人虐殺に先立ちナチスがおこなった、心身の障害者に対する強制的な隔離と断種手術との共通性を見出します。
第二部は、森村誠一(作家)さんと池辺晋一郎(作曲家)の対談でした。真面目な硬派老人の森村さんとダジャレ好きの軟派おじさんの池辺さんの硬軟おりまぜての対談は、過去の加害者の記憶について語り合うという重いテーマにかかわらず、二千人の聴衆の耳目を集めつづけ、飽きることがありませんでした。森村さんは、「戦争の実態は被害だけではなく、加害を語らずには、確かめられません。戦争は国民の生命を奪う前に、それぞれの人生を破壊します」と語りました。また池辺さんは、「本当はこの歌を必要としない世の中こそが素晴らしい。いつか、そんなときが来てほしい。ところが、この歌の意味が極めて重要なのが「今」なのです。安穏としていては平和が危うくなってしまう状況なのです」と語りました。ともに、安倍自公政権による戦争への道に、強い懸念と警告を発しました。
第三部 カンタータ「悪魔の飽食」。
大ホールの広い舞台の後段には、群馬の70名に加え、北海道から九州まで全国各地から参加された190名、総計260名の合唱団出演者がところ狭しとならび、その前段に、群馬交響楽団のメンバーが陣取りました。ほとんどベートーヴェン「第9」の舞台を思わせる大掛かりな陣容でした。そこに、タクトをもった池辺晋一郎さんが登場し、森村誠一・原詩、池辺晋一郎・編詩作曲の混声合唱組曲「悪魔の飽食」の演奏が始まりました。(編詩:神戸市役所センター合唱団含む)
🎶 ハルピン郊外二十キロ
平房の地に囲われし
六キロ四方のこの世の地獄
七三一部隊に何があったのか
(「プロローグ 七三一の重い鎖」より)
オーケストラの重厚で力強い演奏をバックに、大合唱団が「プロローグ 七三一の重い鎖」を歌い始めました。七三一部隊に何があったのか。「生きながらに殺されしマルタよ哀れ 生きながら解剖されし少年よ哀れ」とつづきます。そして、この歌の最後に、「日本人よ今 自らに問え」と訴えました。
三曲目の「赤い支那靴」は、ジブリの世界から流れてきたような優しい音楽に乗って、犠牲となった父親の娘への伝言が、静かに歌われます。舞台中央に置かれた深紅の靴が、まぶしい。
混成合唱団は、「マルタはモルモット モルモットとして生きるより 人間として死にたい」(「反乱」から)というマルタと呼ばれた被害者の雄たけびを歌い、「私はロシア人親子マルタを殺した
・・・ 悔やんでも流す涙は届かない」(「三十七年目の通夜」)という加害者の痛悔の思いを歌いました。そして日本と世界の人びとに対して、「マルタの死を歴史のいましめとして
永遠の不戦を誓い合ってほしい」(「友よ 白い花を」より)と希望し、「科学を悪魔に渡してはならない 人間の英知が 破れぬために」(「君よ目を凝らしたまえ」より)と訴えました。指揮者がタクトを静かにおろすと、満席の会場から、大きな拍手が起こりました。舞台の人びとは、上気した顔をほころばせ、にこやかに拍手にこたえました。拍手がなりやみません。再び、やさしく悲しい「赤い支那靴」が演奏され、アンコールにこたえました。
この混声合唱組曲「悪魔の飽食」は、1984年神戸で初演され、1990年の東京でのコンサート成功を経て、戦後50周年の1995年から全国47都道府県を回る全国縦断コンサートがはじまりました。今回の群馬公演が第25回目にあたります。私は、日本人の過去の行為に対して、身体表現の一つである音楽を通じて真摯に向き合おうとする「カンタータ 悪魔の飽食」の運動に、新鮮な驚きと感動を覚えました。これは、日本社会の誇りでもあると思いました。
追記:ネチズン・カレッジの加藤哲郎さんは、直近の記事で、「七三一部隊が、「マルタ」とよばれた抗日中国人・ロシア人を人体実験の材料にし、ペスト蚤を爆弾にしてまき散らして中国民衆を殺伐した蛮行は、ホロコースト、ヒロシマなみの「人類の負の遺産」として、世界的に確認される可能性が高い」と指摘しています。南京大虐殺のユネスコ記憶遺産への登録に抗議した日本政府は、ハルピン郊外の七三一部隊跡地のユネスコ世界遺産登録に対して、どのような態度をとるのでしょうか。国際社会は今、日本政府と日本人が、かつての植民地支配と侵略戦争によって加えたアジアの人びとの犠牲を、忘却することなく記憶しつづけることを、強く求めています。そのことこそが、アジアの人びととの相互理解と和解を促し対立と憎しみを克服していく唯一の道であると、確信します。
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コメント
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素晴らしいコメントをありがとうございます。
私は、当日ステージ最前列で歌った者です。
投稿: YN | 2015年11月15日 (日) 18時50分