「3・11」から5年。忘れてはいけないこと。その2
巨大津波の犠牲は、圧倒的に「死者」となって表徴しました。そして、地震・津波のあと発生した東京電力福島第一原発事故の犠牲は、「死者」と同時に放射性物質の拡散による「被ばく」と「避難」として現われました。原発事故による「死亡」は、避難途中あるいは避難先での過労死や自死を特徴とし、「震災関連死」と表現されました。また「被ばく」と「避難」は、「3・11」という言葉だけではくくり切れず、「3・11後」何年つづくとも知れない、10年とも100年とも、あるいはそれ以上の時間をも蔽う犠牲となりました。