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2016年3月 2日 (水)

「3・11」 報道写真展には、多くの市民がやってきた

 2月26日~28日の3日間、吉井町文化会館ギャラリーで開催された「東日本大震災・福島原発事故 報道写真展」は、盛況のうちに終了しました。入場者数は、昨年の写真展の二倍となる201人を数え、徹底した宣伝活動の成果が現われたとともに、いまだ「3・11」に対する市民の関心の高さを示すものでした。Img_8251

 宣伝活動には初めて、3,500枚のチラシと200枚のポスターを準備し、高崎市内の公民館や文化会館へのチラシ配置とポスター掲示を徹底、また、地元吉井町では全行政区でのチラシ回覧とポスター掲示を実現しました。これらは、高崎市や行政区の協力のお陰でした。このほか、上毛新聞と朝日新聞のイベント欄での開催案内、講演会や映画会でのチラシ配布、友人・知人への声掛け等、宣伝活動をかつてなく積極的に取り組みました。Img_8261 初日は正午からの開催でしたが、準備作業中の10時ころに早くも来場者がやってきて開場を促し、その後も入場者は止まらず、戸惑いながらもうれしくなって、予定より1時間以上早く会場を開き、写真展をスタートさせました。Img_8264_3 今回は簡単なアンケートを実施し、入場者に年齢・性別・住所などを聞くとともに、感想文を書いていただきました。アンケート回答者168名(回答率84%)、そのうち感想文を書いた人148名(入場者の74%)という結果に、驚きました。「3・11」に向き合う市民の誠実さを、強く感じさせられました。Img_8318 入場者のうち男性45%・女性55%、60歳以上73%・以下27%。これらの結果は、ほぼ想定された範囲内です。40歳未満の来場者の少なさは気になりますが、考えてみれば私自身、こうした地域の取り組みに参加しはじめたのは、70歳近くになった最近の事であって、2、30代のころは見向きもしなかったものです。少ない故に、若い入場者に眼が向きます。Img_8282 少年が2人、南三陸町への津波襲来の写真を見つめています。秒単位で、町は見る見る間に、津波に飲み込まれてしまいました。Img_8322 ひとりの少女が、爆発した原子炉建屋の跡を見つめます。彼女は、この写真からどのようなメッセージを受け取ったのでしょうか。Img_8271_3 青年の目は、除染で出た放射能汚染土の仮置場に注がれます。Img_8311 こんな小さなお客様も、ママやパパに連れられて来場しました。真剣に写真を見ていた子どもたちは、カメラを向けると明るく表情を変えました。Img_8342 「3・11」以後に生まれた幼児たちも、やってきました。Img_8285 「抱きしめて」と題された写真のキャプションには、「震災犠牲者慰霊祭で、亡くなった父親の遺影を抱きしめる幼児。「パパ」と呼びかけていた」と記されていました。もっとも涙を誘った写真のひとつです。Img_8277 多くの入場者が、感想文を書きました。自らの「3・11」の記憶を呼び起こし、いま見てきた写真から、被災者と被災地に思いを馳せ、鉛筆を走らせました。Img_8336 12歳の女の子は、「忘れてはいけないこと」は「悲しみ」だと書き、10歳の男の子は、「東日本だいしんさいの写真を見て、つなみにまきこまれた人はかわいそうでした」としっかりした文字で書きました。Img_8270 感想文のいくつかを紹介します。
 ①もう5年も過ぎているのに被災者に対する国の支援はとても冷たいと思います。放射能を浴びたのに直ちに避難させなかったりひどいです。(70歳代・女性・吉井町)
 ②5年前を思い出しました。新聞、TVでも報道は少なくなってきた。あの大震災と原発事故。オリンピックは辞退して欲しかった。フクシマのことを考えない人たちが浮かれている姿には憤りを感じます。(40歳代・女性・富岡市)
Img_8312 ③当日、いわき市小名浜港の近くで震災にあいました。命の大切さとひとを助ける勇気を忘れることができません。(60歳代・男性・玉村町)
 ④また、あの日の体全体がふるえるような気持がよみがえりました。いま、とても居心地の悪い、ザワザワするような感覚を呼びおこすことが多い。エネルギーも政治も、オリンピックさえ、ザワっとする。写真展をみて、やはり、この国の未来を、しっかりと見すえないと、この大きな犠牲に報いられないと、心を新たにしました。ありがとう。(50歳代・女性・沼田市)Img_8338 ⑤原発事故を忘れてはいけない。あの事故は、私たち人間が考え出した技術によって引き起こされた事故で、当時の人たちはまだ、原発の取り扱い方や放射能のことについて何も知らなかったことばっかりだった・・・。(15歳・男性・吉井町)
 ⑥チェルノブイリ原発事故が起こっても、何となく日本は大丈夫だと思っていた自分、安全神話にどっぷりつかっていたのです。フクシマ第一原発の爆発をテレビ画面で見て、自分の誤りに気付きました。私が放射能測定(毎日)するのは、その反省を忘れないためです。(70歳代・男性・群馬町)Img_8273 ⑦いろいろな人がなくなって かなしんでいる人がたくさんいるので かわいそうでした。(10歳・女性・箕郷町)
 ⑧生々しい写真に震災にあった人々の声が聞こえてくる、また、その当時のことを思い出しました。震災や原発事故にあった人々の辛さ、悲しみの思いを共有する気持ちを常に思うことが大事だと思います。(60歳代・女性・吉井町)

 「3・11」直後の報道写真を見終った人びとが黙々と感想文を書く様子は、大震災と原発事故による犠牲者のことを思い起こし、静かに祈りを捧げる姿に見えました。いくつかの感想文の中には、写真展開催への感謝の言葉もつづられており、主催者を励ますものでした。すでに3年間写真展をつづけてきたのですが、今後も、「3・11」10周年までは、継続して取り組んでいきたい、と思いました。

 

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