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2016年5月 4日 (水)

「戦争法廃止」署名活動の顛末

 デモや集会への参加には、ためらいや物怖じを感じませんが、署名活動は正直、苦手です。一対一で政治について話すことに慣れておらず、いわんや他人を説得することなど考えたこともない。地元9条の会の行なう署名では、せいぜい家族の署名を提出するにとどまっていました。しかし、飽くなき安倍晋三の暴走は、個人的な好みを許さない最悪レベルに達しました。勇気を奮って「戦争法廃止」署名活動に参加しました。

 まず昨年末、高崎駅東口での戦争法廃止の宣伝・署名活動に参加しました。2013年以来毎週土曜夕方に行っている秘密保護法に反対する市民グループの活動に加わったもの。6、70歳代中心のオールドパワーが、静かな闘志に燃えながら、息の長い運動に取り組んでいます。
 メンバーがハンドマイク片手に、交替で「戦争法廃止」の気持を語りつづけるなか、「戦争法の廃止を求める統一署名」用紙をもって、駅頭を行き交う人びとに署名を呼びかけました。土曜日の夕方にかかわらず、背広を着た勤め帰りのサラリーマンが多い。多くの人びとが、私たちを避けるように、足早に走り去ります。戦争法制に対する市民の無関心と忌避感を、強く印象付けられます。なかには露骨な嫌悪感をあらわにする人もいます。こちらは、立場は逆でも、戦争法制に強い関心を持っている人かな、と想像します。スピーチの中で首相を「アベシンゾウ」と呼び捨てにした女性がいました。それを聞いた初老の男性が、署名を求める私に、「一国の総理を呼び捨てにするとは何事か」と強く抗議しました。文句は発言者本人に言ってくれ、と答えるとぶづふつ言いながら去っていきました。4人組の女子高校生が通りかかりました。彼女たちは、私の署名の呼びかけに躊躇することなく、気持よく答えてくれました。多数の人びとの無関心・拒否による落胆は、4人の女子高生の署名で氷解し、気分は明るくなりました。この日、2時間の署名活動で得た筆数は、この高校生の4筆のみでしたが。

 戦争法廃止を求める統一署名の目標は2000万筆。8月30日、国会前に集まった12万人の中のひとりだった私は、密かに皮算用をしました。2000万筆÷12万人=167筆/人。つまり、この日国会前に集まり戦争法に反対した12万人が、ひとり167筆署名を集めれば、目標2000万筆を達成できる、と。しかし、年末までに高崎駅頭で得た筆数は、10筆に過ぎません。そこで年明け、地元9条の会が呼びかけた団地署名に、家内とともに参加することにしました。
 1980年代に西武不動産によって開発された住宅団地900戸余を対象に、2名づつの4班編成で、署名を集めることになりました。私たちは、2,3月の日曜日の午前中、団地に赴きました。最初の一軒は、比較的新しい戸建て住宅で、玄関のドアフォンを押すと、30歳前の若い女性がでてきました。私は、自分の住所と姓名を名乗り、9条の会が憲法の平和主義を守る運動だと説明、そして昨年9月に成立した戦争法の廃止を求める署名をお願いしている云々と、署名趣旨をややくどく説明しました。女性は、ポカンと人の顔を見るばかりで、無反応。やがてたどたどしい日本語で、「私は中国人で、あなたの言っていることが、よくわかりません」との答えが帰ってきました。緊張して話した私の喉は、カラカラに渇き、水を求めるばかり。こうして最初の一軒は、成果なく終わりました。
 この団地の戸建て住宅は、ほぼ全戸がドアフォンを備えています。だから来訪趣旨は、呼び鈴を押した後のドアフォン越しの説明となりました。先の失敗の教訓を踏まえ、ドアフォンに向かって、「9条の会の○○」の自己紹介と「戦争法廃止」の署名依頼の2点に絞って語りかけました。反応の数々。「誰もいないのでわかりません」は子どもか高齢者の声。「うちは結構です」は手慣れた断り。時には、「戦争法ってナンダ。そんなもの世の中にあるか」という叱声。ただ、呼び鈴に返答があるのは2,3割程度で、他の7,8割は留守宅か空き家。留守宅の多さと同様に、空き家の多さにも驚きました。80年代に4,50歳代で住宅を買った人たちが今、7,80歳代となってこの団地を支えています。そして、死亡や都会への引っ越しによって、歯の抜けた串のように、空き家が増えつづけます。
 ドアフォンでの来訪趣旨にこたえて玄関ドアを開いた人たちが皆、署名に応じた訳ではありません。自衛隊員OBは、「自分たちは命をかけて国を守っている」と怒気もあらわに、署名活動に嫌悪感を示しました。公明党のポスターが貼ってあった家から出てきた中年男性は、腕を大きく振って、拒否の意思を表しました。しかし、ドアを開けた多くの人たちが、私たちの説明をじっくり聞き、署名に応じてくれました。広島出身と語った女性は、「戦争は絶対いや」と即座に署名しました。「この町にも9条の会があったんだ」と感嘆の声をあげた若い女性がいました。捨て犬・捨て猫の救助活動をしているという男性は、「ごくろうさん」といって署名しました。こうして、5回の団地訪問で42名の人びとが、署名に応じてくれました。

 家内のメールに、高校時代の同窓生仲間の情報交換の場があります。そこに、リーダー格の男性が、小林節さんの「安倍政権は倒せる」という「日刊ゲンダイ」連載記事を紹介しました。いち早く「同感」と「反対」の反応が飛びかい、やがて「同窓会の場での議論にはなじまない」とたしなめる意見がアップされ、最後に「この辺でお開きに」となって、メール上での論争は終わりました。なかなか面白いなあ、と思って読みましたが、その議論の経過の中で、「戦争法廃止署名」を依頼しそれに多数の署名で応えた、というやり取りに注目しました。あゝコレダと思い、早速実行に移しました。
 大学や職場で一緒だった古くからの友人たちに、手紙で署名を依頼しました。当初、メールでの依頼と考えましたが、地元9条の会で料金受取人払郵便の封筒が準備されていたので、それを使うことにしました。依頼の手紙50通に対し、過半の26通が署名用紙とともに帰ってきました。署名数115筆。驚き感動しました。
 多くの方たちが、夫妻名を連記していました。それに、子供や親戚、友人と思われる名前がありました。熊本の友人からは、熊本地震の翌日、届きました。4都県や3府県など、都府県を越えて集めたものもありました。送られてきた署名用紙を一枚一枚めくりながら、そこに書かれた友人たちの名前と友人につながる名前を読みながら、心が震えるような感動に浸りました。ある友人は、つぎのような手紙をくれました。
 「保守とは私達が若いころは、政治を変えようとしない年寄りのことを指していましたが、今は若い人がどんどん改革(?)して仮想敵国を作りあげていってる。おそろしいことになってしまっています。生まれて68年、今が一番不安でとても希望のない時だと思っています。・・・・・しかし、あなたからの封を受け取り、ちょっびり元気が出ました。ありがとうございました。」
 元職場の先輩からの手紙。「デタラメ、インチキ、マヤカシ、不誠実な政権を、一日も早く打倒しなければ、ますますアメリカの言いなりの、情けない国になってしまいます。皆んな心から心配しています。ご健闘をお祈りいたします。」

 わたしたちの「9条の会」での署名活動の集約結果は、4月27日現在1,605筆となりました。577筆集めたのは、80歳の男性会員。482筆はやはり80歳の女性。世話役8人が集めた結果としては、大きな成果でした。昨日5月3日の有明集会で、「戦争法廃止署名」は現在、約1200万筆に達している、と報告されました。

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