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2016年11月 8日 (火)

重度障害者殺傷事件と津島佑子著『狩りの時代』

  19人もの死者をだした相模原市の重度障害者殺傷事件は、世界各地でつづくテロによる多数殺人事件を連想させ、日本国内だけでなく世界を震撼させました。また、各メディアの報じた「重度障害者は生きていても意味がないので、安楽死にすればいい」「障害者は不幸を作ることしかできません」「世界経済の活性化のため」といった容疑者の言葉は、ナチス・ドイツが優生思想により、ユダヤ人虐殺に先立ち、知的障害者や精神障害者など約20万人を抹殺したことを、思い起こさせます。事件直後、全盲と全ろうの重複障害を持つ福島智・東大教授は、事件の背景として、「労働力の担い手としての経済的価値や能力で人間を序列化」する現在の世界を覆う新自由主義的な人間観にあるとし、「そこでは、重度の障害者の生存は軽視され、究極的には否定されてしまいかねない」と指摘しました(毎日新聞7/28)。

 私は、この事件の報道に接して真っ先に読み返したのは、30数年前、小樽市で開かれた全道肢体不自由児者福祉大会での大江健三郎氏の記念講演録でした。この記念講演は19811018日に開催され、『「優しさ」を不可能にするものと闘うために―障害児と私』(大江健三郎・講演集『核の大火と「人間の声」』岩波書店1982刊 所収)と題されたもので、大江氏の傷害者論として私の記憶のなかにあったものです。講演のなかで大江氏は、障害児をもつ父親あるいは家族としての経験を語りながら、次のように述べました。「障害児の問題ということは人間の根本の問題です。人間が生きてゆくということの意味と根本において関係している問題です。障害児といっしょに生きながら考えてゆくということは、人間の根本の問題をいつも現実に、日常的に、自分の経験としてマナブ、そしてオボエルようにしてゆくことだからと思うのであります」。
 大江氏は、この講演の前年、大西巨人・渡部昇一両氏の間で闘わされた「神聖な義務」論争(血友病患者の息子ふたりをもつ生活保護受給者・大西巨人氏に対し、渡部昇一氏は「治癒不可能な悪性の遺伝病をもつ子どもを作るべきでない」と主張した)から、渡部氏の主張を次のように要約しました。
 「外国人に対して日本人が競争するためには、まず日本の社会の弱いところをなくしてゆくのでなければならない。弱いところは切り捨てて強いところを強くする、社会の負担になるようなものを少なくする。つまり福祉に金がかからないようにする。そこで障害のある子どもが生まれる可能性があれば、それを生むな、そうすることが社会への義務だ」と。

 さらに大江氏は、渡部氏が勇気あることだと称賛したある母親のことに触れます。渡部氏の知り合いのある若い母親は、ガラス箱に入れて育てなければならない子どもが生まれた。しかしその子どもが身体障害者になるかもしれないということで、ガラス箱に入れることを断わり、その赤ちゃんを死なせた。大江氏は、「それは殺人です」と断定し、「ただ自分を守るために子どもへの責任をとらぬ、若い女性の退行現象に対して、そのお母さんは勇気がある、社会に対して責任をとる行為をしたと渡部氏はいっているのです。それが正しい考え方でありうるでしょうか?」と厳しく批判しました。

 大江健三郎氏と福島智氏のふたつの言説は、1981年と2016年のあいだの35年もの年月を隔てていますが、両者に共通している危機意識は、「福祉費を削って軍事費を増やす」「日本を強くするため弱者を切り捨てる」という政治を背景にしていることが明白です。

 

 障害者差別を取り上げた小説を読みました。津島佑子著『狩りの時代』(文芸春秋社2016/8/5刊)。2016218日に亡くなった津島佑子の遺作で、津島は亡くなる1週間前までパソコンのデーターを更新していた、と娘の津島香以さんが、作品発見の経緯のなかで触れています。まさに、津島佑子最後の作品なのです。
 『狩りの時代』は、日本の戦中から戦後、ある知識階級の二世代の家族の物語です。物語の中心には、主人公・絵美子の3歳上の知的障害者の兄・耕一郎の生と死と、それをめぐる絵美子の母とその兄弟たち、およびいとこたちの会話とこころの揺れが、描かれます。

「母は外の世界に身構え、おびえていた。いつもよだれと鼻水を垂らし、口のまわりをただれさせている耕一郎、ずり落ちそうなズボンからシャツがはみ出ていて、手をズボンのなかに入れて、変な場所をいじっている耕一郎をだれにも見せてはならない。けれど、母のおびえはそれだけだったのだろうか。なにかほかにも理由があったような気がしてならない。絵美子にはしかし、大人になるまで、その理由はわからなかった。耕一郎がいなくなっても、母はなにかにおびえるように、用心深く、目立たないように、絵美子と暮らしつづけた。」

 10歳の時、いとこで同じ年齢の晃が耳元でささやいた「フテ・・・・」という言葉を、絵美子は忘れられず、こだわりつづけます。やがてそれが、「フテキカクシャ」だったと恐怖を感じます。

十歳の晃はどこまで気がついて、絵美子の耳にささやいていたのだろうか。「フテキカクシャ」、そして「アンラクシ」「ジヒシ」と。

中学生のころから絵美子は言葉の意味を知り、夢のなかでもおびえるようになった。コウチャンが殺される。無残にその命を奪おうとするひとたちがいる。なぜなら、このしゃかいに「不適格な」存在だから。「不適格者」には「慈悲死」、あるいは「安楽死」を、とナチスは叫ぶ。「不適格者」の排除は差別ではない。合理性に基づく「選別」の判断に過ぎない。ヒトラーはそのように主張した。「不適格者」までを養う余裕を、自分たちの社会は持ち合わせていないので、消えてもらうしかない。はじめのうちは注射で殺していたけれど、やがてユダヤ人虐殺にも使われた毒ガスが登場する」。

母カズミは、耕一郎を診てもらっていた若い医者が、義兄の永一郎(アメリカ在住の核物理学者)に話しかけるのを、隣で聞いています。

「……いや、ひどいもんだね、ヒトラーはユダヤ人だけではなく、障害者や老人まで社会的に有用ではないという理由で、殺していたっていうんだから。こうなると、ヒトラーはひとりの人間ではなくて、人間に潜在するあらゆる悪を集約させた記号に思えてくるね。おそろしいのは、どの悪にしても、だれしもどこか身に覚えがあると思い知らされるところだよ。信じられない幸運に見舞われてうれしそうにしているだれかを殺したくなるのも、手がかかるだけでなんの役にも立たないだれかを殺したくなるのも、結局のところ、人間の本音なのかもしれないって、ちらっと感じさせられるから、ぞっとする」。

1938年にドイツから親善訪日したヒトラー・ユーゲント歓迎の記憶が、絵美子の親族の意識の底に漂っています。北原白秋作詞の「ヒトラー・ユーゲント歓迎の歌」が思わず叔父や従兄弟の口から飛び出し、絵美子たちを驚かせます。
 
🎶 燦たりかがやく、ハーケンクロイツ。

ようこそはるばる西なる盟友。……

バンザイ、ヒトラー・ユーゲント!

 バンザイ、ナチス!……

耕一郎の医者からヒトラーの話を聞いたカズミは、家に戻って恐怖します。

「その日、家に戻って、ふたりの子どもを寝かしつけてから、カズミはヒトラー・ユーゲントを創たちが見物に行ったことをようやくはっきりと思い出し、吐き気をおぼえた。あらゆる悪を集合させた記号。それがこんな身近に、カズミと耕一郎をせせら笑うように存在していたとは。身近すぎる。愚かな、十二歳の創兄さんと、八歳の達たちは「あらゆる悪を集約させた記号」に対しておそらく、大喜びでしっぽを振ったのだろう。ひょっとしたら、ハイル・ヒトラーと叫んだのかもしれない。金髪に青い瞳の少年たちに見とれ、ひれ伏したい思いになっていたのかもしれない。人間の本音? カズミは戦時中に街頭でよく見かけていた、米軍兵士を思いきり醜く描いた「戦意高揚」のポスターをも思い出した。醜い奴らは殺せ。やつらは醜いんだ。だから殺さなければならない。殺せ、殺せ。カズミの頭にそんな声がひびいた。
 その夜、カズミはおびえ、耕一郎のそばから離れることができずに震えつづけていた」。

 

小説『狩りの時代』のエッセンスを要約的に引用すれば、上記のようになるかと思います。著者の津島佑子が、もし存命していて相模原市の重度障害者殺傷事件を知ったならば、どれほどに驚愕し恐怖したことか、想像すらできません。あるいは、かくある事件の可能性をひそかに恐れていたのかもしれません。

私は、地域の高齢者の集まりで合唱するため、北原白秋作詞の唱歌や童謡を検索していた時、「ヒトラー・ユーゲント歓迎の歌」が出てきて驚いたことがあります。まさにこの小説で取りあげられた歓迎の歌そのものでした。私たちの親の世代が、ハーケンクロイツを賛美し、ヒトラー・ユーゲントやナチスを祝福していたことを、忘れる訳にはいきません。津島のこだわりも、そのことにあったのだと思います。
 津島佑子には、3歳年上のダウン症の兄がいました。津島が12歳の時、兄は亡くなっています。主人公・絵美子は、津島佑子そのひとがモデルだといえます。また津島は、長男も幼くして亡くしています。この作品の背景には、こうした身近な人たちの死と悲しみがあります。悲しみの対象は、いつも社会の隅に追いやら、ひっそりと暮らしつづける少数者たちです。

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