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2016年11月 2日 (水)

「正義」という言葉が生きていた―群馬・原発避難者集団訴訟が結審

Img_1636 昨日(10月31日)、福島原発事故により群馬県へ避難した人びとが起こした集団訴訟が結審するということで、前橋地裁へいきました。原告のひとりで、今春、福島原発被災地を案内した丹治杉江さんから声が掛かったもの。地裁入口の受け付けで「0019」の傍聴整理券のリストバンドを腕にセットしてもらい、40分間ほど小さな会議室で、抽選結果を待ちました。しかし、壁の張り出された当選番号には「0018」はありましたが、私の番号はありませんでした。残念ながら傍聴はかなわず、裁判後の報告集会に参加することにしました。

 裁判開始後40分ほどで、裁判を終えた原告・弁護団・傍聴した支援者たちが教育会館へやってきて、早速、報告集会が開催されました。参加者は、約230名。
 まず、「群馬弁護団ニュース・号外」から、結審にあたっての原告代理人の意見陳述書・冒頭部分を引用します。
 「原告達は、平成23年3月、突然ふりかかった福島第一原発事故によって、ふるさと福島を追われました。原告達は、故郷と生活の基盤を失い、家族を引き裂かれ、幸福な人生を送る権利を侵害されました。いらい、5年半が経過しましたが、原告達は、ある者は依然として福島に戻ることができず、ある者は家族の別離を経験し、ある者は群馬をはじめとした異郷の地でひっそりと耐える生活を送っています。
 本件訴訟の原告達は、福島から群馬の地に避難した人たちやその家族、親族です。私達は、平成25年9月11日の第一次訴訟の提起以来、3年余にわたり、本件訴訟の中で、原告達の被害をあきらかにし、事故の原因を主張、立証してきました。」
 
  さて、集会の冒頭、弁護団長の鈴木克昌さんが挨拶に立ち、①2013年9月11日の群馬訴訟第一次提訴から3年で結審したこと。②判決言い渡しは、来年3月17日に決定したこと。③被害者が希望をもてる判決を求めたい、と述べました。
 つづいて、群馬弁護団事務局長の関夕三郎さんが、小さな文字がぎっしり詰まったA4用紙4ページのレジュメを使って、結審にあたり群馬訴訟の概要とあゆみを振り返りました。以下、事務局長報告を要約します。(弁護団ニュース、朝日新聞11/1記事も参考にした)
 
1.訴訟の概要
(1)原告:45世帯137名。うち避難区域内25世帯76名、区域外(「自主」避難者)20世帯61名。この中には、事故後出生者が4名(うち2名は事故時に胎児)含まれる。
(2)請求額:慰謝料1000万円+弁護士費用100万円 総額15億700万円
2.主な争点
(1)津波を予見し、被害を防ぐことができたか
 ①原告:政府の地震調査研究本部は「地震活動の長期評価」(2002年発表)において、福島第一原発の沖合を含む日本海溝沿いでM8クラスの津波地震が起こる可能性を指摘した。さらに東電は2008年5月、「長期評価」に基づき津波評価を行い、約15mの試算結果を得ていた。したがって、こうした津波予見に基づき、防潮堤や防波堤の建設、配電盤や非常用ディーゼル発電機の高台への移転などの津波対策によって、被害を回避することができた。
 ②被告:未曽有の天災地変で、大規模津波の発生を予測できず、対策を講じることは不可能だった。08年の津波推定は、仮の計算に過ぎない(東電)。津波を予見する科学的知見は確立しておらず、「長期評価」は、地震の発生確率を推定したもので津波の高さを予測したものではない。信頼度も低い(国)。
(2)賠償額や自主避難に合理性があるか
 ①原告:原発事故で避難を余儀なくされ、平穏に生活する権利が奪われ、精神的な苦痛を受けた。東電の賠償措置では、到底償い切れない。
 放射線の低線量被ばくについて科学的に十分解明されていないこと、およびICRPが低線量被ばくに関してしきい値なしモデルを採用していることから、健康被害を受ける可能性があり、自主避難に合理性はある。
 ②被告:避難者には、国の原子力損害賠償紛争審査会の中間指針に沿って賠償を支払っている。それを超える賠償額は請求できない(東電)。中間指針を超える賠償責任は負わない(国)。
 避難指示区域内の放射線量でも、喫煙などと比べて健康リスクは低い。現在の自主避難には合理性はない(東電)。自主避難の不安感や危惧感は、事故と因果関係がある損害とは言えない(国)。
(3)国に原発を規制する権限があったか
 ①原告:国策として原発を設置させていたので、規制権限があった。
 ②被告:電気事業法や原子炉等規制法は、原子炉の設計時に国が一度基本設計の安全性を確認すると、それを前提に、その他の詳細設計について規制する作りになっている。一度基本設計を許可した以上は、あとから明らかになった情報から、防波堤の設置など基本設計について追加規制する権限はなかった(国)。
3.群馬訴訟における特筆事項
(1)迅速な訴訟進行
 ①裁判所は、訴訟の迅速化に資する具体的かつ積極的な訴訟指揮をした。
 ②これに対して被告(国)は、「本件訴訟は専門性が極めて高い。もっと専門家の意見を聞く必要がある」と強調して本件訴訟の引き伸ばしを試みた。これに対して、
 ③弁護団は、「本件は科学論争ではなく、原発を取り巻く東京電力や国の関係者の過去の姿勢が正義に反するか否かを問う訴訟である」という論陣を張り、国の抵抗を排除した。原告側は、被害者の早期救済のため一貫して裁判所の迅速な訴訟進行に賛同してきた。
(2):原告41人の本人尋問の実施
 ①被害実情立証のため、原告全員の陳述書作成と各世帯1名の本人尋問を実施した。
 ②陳述書は、避難時の状況や被害の実情を詳細に述べたもの。本人尋問は、手持ち時間(弁護団10分、うち原告5分)が制約されている所から、ペアーとなった原告・弁護士間で周到な打ち合わせと準備をした。
 ③福島在住の原告1名について、前橋地裁出頭困難なため、福島地裁にて尋問が行われた。原発関連訴訟で、福島地裁以外の裁判所が福島県内の入るのは、全国初のこと。
 ④原告の証言は、非常に切実なものだった。原告の証言に真剣に耳を傾ける原裁判長以下3名の裁判官の姿は、印象的だった。
(3)検証としての現地見分の実施
 ①2016年5月9日、福島で現地見分を実施した。福島県外の裁判所による現地見分は全国初。
 ②東京電力と国は、現地見分の必要性を認めず、特に国は、報道機関の視線がない状況下で現地見分を実施するのは無理であるとして、現地見分に強硬に反対した。
 ③原告弁護団は、裁判所に福島の被害の全容を少しでも多く感得してもらうため、現地見分は是非実現したいとして、周到な事前準備と日程計画によって裁判所を説得し、実現にこぎつけた。
 ④裁判長は「出来る限り少人数で、現地の静けさや匂いなどを直接感じたい」という意向を示し、東日本大震災5年目の2016年3月11日、検証としての現地見分を採用した。
(4)専門家証人の証人尋問・書面訊問の実施と国際的知見への関心の高さ
 ①裁判所は、原発に関する諸外国の動向に明示的に関心を示した。
 ②全電源喪失対策を実施した諸外国の状況、スイスのミューレベルク原発のフィルターベントについて、および諸外国におけるシビアアクシデントの発生事例やシビアアクシデント対策の実施例などの主張・立証を要請した。
  ③こうして原発技術者・佐藤暁氏および地震・津波研究者・佐竹健治氏の証人尋問・書面訊問が実現した。

  関事務局長の「群馬訴訟の概要とあゆみ」報告は、以上のような内容でした。難しい法律用語の使用が避けられないなか、論理を尽くした説明には説得力があり、まるで法廷の中で傍聴しているような錯覚すら覚えるものでした。原告弁護団の原コート(原裁判長と二人の裁判官による裁判体の呼称)に対する信頼感は大きく、法廷のなかにも、暖かい人間関係が成り立っていることを窺わせました。原告のひとりは、「尋問に立った時、頭のなかが真っ白になった。しかし、原裁判長の穏やかな顔をみたら、安心して話ができた」と報告をし、原コートの雰囲気を伝えました。
 一方、『群馬弁護団ニュース』には、被告(国・東電)の法廷に対する真摯さを欠いた態度が報告されています。東電は、原告が求め裁判所が指示した『08年津波評価』書類の提出を拒みつづけ、その不誠実さと隠蔽体質を露呈しました。また、居眠り常習の国の代理人は、原告本人尋問の途中船を漕ぎ、ついに業を煮やした原告弁護人に一喝されたこともありました。
 訴訟の迅速化に関する裁判所・原告・被告3者のやり取りは、この裁判に対する3者の考え方や姿勢の違いがはっきりして、大変興味深い。『弁護団ニュース No.21』から、結審に同意か不同意かのやり取りの場面です。
  「裁判長から意見を求められ、原告は「結審に同意」、被告の東電と国は「IAEAの報告書、低線量被ばくの評価、予見可能性や結果回避義務問題など、まだまだ主張すべき事項があり結審には同意できない」と異論を述べました。この「異論」を受けて裁判長が発言しました。その内容は、「原告代理人は、原告の方々にできるだけ早く救済を受けて欲しい、できるだけ早く賠償を受けて欲しいという思いから、裁判所の要求に 応えるべく動いてきた。わずか3か月で全員分の陳述書を出してほし いと言ったら、出してきた。情報提供義務違反等も別個の不法行為に したいところだったろうし、共同歩調を取っている山形や新潟は、今 も別個の不法行為としての請求を維持しているだろう。そんな中、群馬の弁護団は、早期救済のために、慰謝料増額に関する考慮要素でよ いと主張を修正して、早期終結に協力してきた。それを今になって『主張すべきことが残っている』とは、今までの流れを全く理解していないものである。加えて千葉では結審に同意しているではないか」 というものでした。」
 裁判長はそう述べて合議にはいり、 その結果、「天変地異がない限り、10月31日に結審」との結論が出ました。そして10月31日、結審の日を迎えたのです。

 私はこれまで、裁判については傍聴はもとより集会・会合に、一切出たことがありませんでした。今回初めて、傍聴を希望し報告集会に参加する機会を持ったのでした。原発避難者訴訟という現場に居合わせて、裁判の場で正義の実現を勝ちとろうと誠心誠意努力している人たちをみて、深く感銘を受けました。ここでは、「正義」という言葉が、何の衒(てら)いもなく、ごく自然に使われていることに、清々しさを感じました。来年3月17日の判決に注目していきたい。

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