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2017年1月17日 (火)

『広河隆一・チェルノブイリ展』を高崎市吉井町で開催します

 来る3月4日(土)、5日(日)の2日間、東日本大震災・福島第一原発事故6周年を記念して、『広河隆一・チェルノブイリ展』を、高崎市吉井町の文化会館ギャラリーで開催します。すでにチラシとポスターは印刷を終えており、今日から宣伝活動に入ります。当日会場に掲示する予定の主催者の「挨拶文」をもって、開催の趣旨説明とします。(ポスター:「6.pdf」をダウンロード)

 被災地では懸命に復旧・復興工事が行われていますが、人びとが震災前の暮らしを取り戻すことは、極めて困難な状況です。とりわけ、原発事故に遭った福島では、いまだ8万人を超す人たちが避難生活を強いられ、放射能による被ばくを恐怖する日々を送っています。
 
 1986年4月26日、ウクライナのチェルノブイリ原発4号炉が、炉心溶融(メルトダウン)ののち爆発し、広島市に落された原爆の400倍の放射性物質を放出、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアなど広範囲な地域を放射能で汚染しました。史上最悪の原発事故でした。
 
 このチェルノブイリの最大の教訓は、原発事故がひとたび起これば、その被害は甚大で、長期にわたり人間社会と環境・自然を苦しみつづけ、まさに「核と人類は共存できない」ということを明らかにしたことでした。しかし、この教訓が生かされることなく、チェルノブイリ事故から25年目に、わたしたちは、福島原発事故を起こしてしまいました。
 
 チェルノブイリ事故の教訓を生かすことができず、再び原発事故を起こしてしまった日本社会は、事故時やその後の対応においてもまた、チェルノブイリの教訓を生かしていません。
 
 なぜ、加害者である東電や政府が、被害を隠そうとしたことを、見抜けなかったのか?
 
なぜ、事故直後、安定ヨウ素剤が配布されず、服用させなかったのか?
 
 なぜ、年間被ばく許容量が、国際基準の1㍉シーベルトではなく20㍉シーベルトなのか?
 
 なぜ、子どもたちの甲状腺がんが、原発事故と関係ないといえるのか

 
 
なぜ、帰還を急がせるのか
 
 なぜ? なぜ? なぜ? ・・・・・・
 
 
「ノーモア・チェルノブイリ」の悲願を胸に抱き、事故に遭遇した犠牲者の悲しみと衝撃を、世界と未来に伝えつづけたひとりの日本人がいました。フォト・ジャーナリストの広河隆一さん。広河さんは、事故から3年目にチェルノブイリを訪れ、その後20数年の間、取材と救援活動をつづけながら、原発の危険性を訴えてきました。また、福島原発事故に際しては、地震から2日後に原発から3㎞の双葉町に入り、そこでチェルノブイリでも経験したことがない、極めて高い空間放射線量を測定しました。広河さんがふたつの核の大地で見たものは、「原発が暴走したとき、人間にできることは何もない」ということでした。
 
 私たちは、本展において、チェルノブイリから福島への伝言を読みとり、広河さんが追いつづけてきたチェルノブイリの真実を知りたいと思います。そして、いま私たちが知るべきことは何なのか、子どもたちを被ばくから守るためにはどうすればいいのか、を考えたいと思います。来場された皆様には、ゆっくりと写真をご覧いただき、チェルノブイリで何が起きたのかを心に刻んでいただきたい、と願います。

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