5月の詩
引揚げ文学として後藤明生や小林勝の小説に引きつづき、「満洲」からの引揚げ者である詩人・小説家の木山捷平(1904~1968)の作品を読み始めました。木山は、長春で敗戦を迎え難民となりますが、この話はもすこし小説を読み進めたあとに、紹介したい。今回は、小説巻末の解説に引用されていた木山捷平の書いた『ふるさと』という詩を取り上げます。思わず「ああ~っ」とため息を漏らすほどに、心ひかれた詩です。
ふるさと 木山捷平・作
五月!
ふるさとへ帰りたいのう。
ふるさとにかへって
わらびがとりに行きたいのう。
わらびをとりに行つて
谷川のほとりで
身内にいつぱい山気を感じながら
ウンコをたれて見たいのう。
ウンコたれながら
チチッ チチッ となく
山の小鳥がききたいのう
岡山県出身の木山が、東京でこの詩を書いた、と解説にあります。望郷の詩です。山へ入るといつも便意を催していた父のことを、思い出します。1907年生まれの父は、詩人の3歳下、同世代です。詩人もきっと、手のひら大の草の葉っぱで、尻をふいたんだろうな。
「ふるさとへかえりたいのう」という言葉に、福島第一原発事故によって故郷を追われた人びとのことを思います。なだらかな八溝山系の山々にはきっと、ワラビやゼンマイがいっぱい生え、谷川にはイワナやヤマメがゆうゆうと泳ぎ、樹々のあいだでは野鳥たちが飛び交っているだろうな。しかし、山菜を採る人も、川魚を釣る人も、小鳥たちのさえずりを聞きに来る人も、今はだれもいないのだろうな。身内にいっぱい感じたい「山気」は、ひどく放射能に汚染され、たとえそこに立ったとしても、マスクを通してしか感じ取れないだろうな。これから、福島の詩人は、「ふるさと」をどのように詠うのでしょうか?
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