木山捷平の「満洲」その2― 『満洲五馬路』『苦いお茶』を読む -
木山捷平の『大陸の細道』は、著者の「満洲」渡航から敗戦までの体験を、主人公・木川正介に託して描いた私小説でしたが、敗戦後の難民生活については、『満洲五馬路』(68/10刊)や『苦いお茶』(63/5刊)に描かれています。このふたつの作品から、木山捷平の『満洲』における難民体験を、追想します。これらの作品でも、主人公はやはり、木川正介。
敗戦後の「満洲」における日本人の状況を端的に物語る数字が、木川正介の述懐の中に出てきます。長春市(旧・新京市)における日本人人口の変動の数字です。
1945年8月9日13万人、8月11~13日の軍人・官吏家族の朝鮮への疎開者5万人、「北満」からの避難民の流入15万人、差引23万人。そして「その冬だけでも八万人は死んで行ったのに、正介がその中にはいらなかったのは、自分ながら奇跡のように思われてならなかった」(『満洲五馬路』から)。ソ連軍の参戦と「ソ満」国境越えにより、いちはやく情報を得た軍幹部や上級官僚たちは家族ともども、特権を利用して列車の席を確保し、さっさと朝鮮半島へと逃亡しました。そしてあとに残されたのは、なんら特権も金ももたない市民と開拓民などの北方からの避難民でした。そのなかに、木川正介がいました。
正介は退役後も、公社嘱託時代に宿舎としていたホテルの一室を確保し、引揚げまでの住まいとします。そのホテルはいまや難民収容所と化し、最上階の3階は主にソ連兵を相手にした売春宿でした。
ソ連軍に占領された長春市で、正介は、植民地政策の先兵であったM農地開発公社の解体により、食い扶持をなくしました。また日本人男子であるならば、ソ連軍による拉致によってシベリア送りとなることの心配も付きまといました。次のようなシベリア送りになる捕虜の姿を見たならば、なおさらのことでした。「すると向うから三台の荷馬車がやって来た。すれちがった時みると、それは日本人が一台に十五人くらい、無表情な顔つきで乗っていた。三台の馬車のいちばん最後に、中国人巡査が一人、ピストルを持って、乗っているのが見えた。通りすぎてから、正介はひやッとした。これからシベリア送りになる捕虜候補にちがいなかった」(『満洲五馬路』)。だから正介は、子供連れならば拉致から逃れられるとして、外出するとき難民仲間の未亡人から幼児を借りて出掛けるのでした。
難民にとって喫緊の課題は、食い扶持の確保でした。
「丁度その頃から正介はボロ屋をはじめた。戦後いち早く、飲助だから酒屋がよかろうと多少は風流味も加味して始めた白酒の行商も、だんだん底が見えて来たからであった。白酒の次にはテンプラの行商を一週間ばかりやったが、これは完全に失敗に終わった。それと前後して、自分の部屋を他人に提供し、自分自身はお茶のもてなしなどをし、バクチのテラ銭の歩合かせぎをしたこともあったが、これも長つづきはしなかった。次には顔見知りの台所用品、つまり鍋釜薬缶類を委託販売してやったが、これも労して益はなかった」(『満洲五馬路』)。
ボロ屋家業も楽ではない。長春市の銀座通りにあたる五馬路の路上で、座布団カバーに入った古着類をひろげ、早速商売を始めました。当初は、値段をまけろ、まけない、とやり合っているうちに商品の古着をすっかり盗まれたり、逆に盗難を恐れ警戒すると全く客は寄りつかず。が、やがてボロ屋仲間から商売のコツを教えてもらいながら、なんとかボロ屋らしくなってきました。正介は路上に座り、低姿勢で五馬路の光景をみる余裕と落ち着きを感じます。
「朝の五馬路には活気があった。高級馬車を駆って、顎ひげの長い大人が、胸を張って通りすぎて行くのは、新設の東北行営あたりの局長クラスの役人であろうか。金ピカの中国服に身をまとった母子連れが、車上向き合って、耳の金環をちゃらりちゃらり鳴らしながら通りすぎて行くのは、縁戚に祝いごとでもあるのであろうか。後手に手をしばられた中国人の男が警官にピストルをつきつけられて、馬車の中にしゃがんでいるのは、これから警察庁へでも送られていくところなのであろう。郵便配達が肩に青い鞄をかけて、郵便をくばって歩く姿も見えた。郵便くばりがくる街は誰が何と言っても、活気があった」(『満洲五馬路』)。
日本人避難民の中に隣組組織が残っていて、国府軍の命令が伝達され、数々の使役をさせられました。日本人によって埋められたというピストルの掘出作業や、共産軍との戦闘に備えた道路入口への有刺鉄線の設置や弾丸運びなどの作業でした。この国府軍の命令を伝えに来るのはいつも、「西満」はずれの県の元副県知事夫人で、今は難民となってホテルの雑役係の女中となっている兵隊服を着た女性でした。
そして1946年の春、八路軍が長春市にも現われ、国府軍と中共軍の戦闘がはじまりました。
「その一階と二階のベランダのような場所に、正介は人影を見つけた。人影はところてんを突くように増えた。いや、増えた人影がころころころげ落ちるように外階段をくだった。梯子をくだった人影がある間隔をおいて建物の塀際に並んだ。手に手に鉄砲を持っているから、兵隊にちがいなかった。
正介は下に目をうつした。ホテルの塀際に向うと同じような間隔で兵隊が並んでいるのが見えた。あまり真下だから向うほどはっきり視覚に入らないが、感覚からすれば丁度合せ鏡をしたような印象だった。中でもいちばん似ているのは、どちらも塀の外側に並んで、もしこれが本当の戦争なら、塀の内側に並んでいる方が戦死率が少いであろうという常識を、全く度外視していることだった。
正介がそう思っている時、撃ち合いがはじまった。号令は聞こえないが、パチパチという音だけがした」(『満洲五馬路』)。
「満洲」で難民となった木川正介の生きるための闘いにはいつも、友人たちがいました。難民収容所となったホテルの同宿者には、シベリア送りとなった夫と別れ北方から避難してきた「半後家」とその子供たち、ソ連兵を相手にする「女郎」、そして日本人妻と暮らすボロ屋元締め朝鮮人などがいました。また、五馬路の露店では、「満人」のボロ屋仲間や、いまは中国人の妾となった日本人女性客などが正介の友人でした。正介は、彼ら・彼女らとの友情と大好きな酒を味方に、飄々と生きつづけました。
ソ連兵による捕虜狩りから逃れるため、借りた幼女を背負って外出した、ということは前に書きました。半日の借り賃米二升で借りた幼女の名はナー坊。時には、4,5歳のナー坊を自室に泊めて、一緒に寝ることもありました。「小父ちゃん、おしっこ」「なんだい」「そこにいててね」「いてやるよ。へへえ。ナー坊はウンコもしているのか」「うん」「紙はあるのかい?」「ない。小父ちゃん、向うへ行って、持って来て」などと深夜のトイレで会話するシーンは、家族を内地に置いて単身で「満洲」に滞在する正介には、家族の温かみを感じてほっとするひと時でした。そして、戦後10数年後に、上野の図書館で偶然その女の子と再会したときのエピソードは、引揚げ者同士の強い絆と連帯の感情を余すところ語っていて、感動します。以下、短編『苦いお茶』から要約し引用します。。
「あたし、ナー坊です。ほら、小父さんによく負んぶしていただきました、あのナー坊です」。当時、4,5歳だったナー坊はいま短大生となり、図書館で写本のアルバイトをしている。「小父さんがお酒を飲んでいる顔が好きだから、そばで見ていたい」と彼女の希望で、新宿の大衆酒場へいく。二人は、長春での難民生活を思い出して話がはずみ、お酒もすすんで、ともに気持ちよく酔った。「ねえ、小父さん、十何年ぶりで逢えた記念に、あたしを負んぶしてくれない」というナー坊のたのみに生介が答える。正介は威勢よく洋服の上衣をぬいで立ち上り、ナー坊に背中をむけると、ナー坊が飛ぶように正介の背中にのっかった。かなり酔っていた正介は面白くなって、客席の間を縫うように、距離にして七間か八間歩いた時だった。
「すけべえ爺、もういいかげんにしないか。ここの、この、大衆酒場を何だと心得ているのか」
土間の一隅から一人の学生が立ち上って叫んだ。さっきから、わあわあ騒ぎながらのんでいた今ではあまり見かけない、紋付羽織姿の学生であった。どこかの大学の柔道部か剣道部に籍をおく選手なのかも知れなかった。正介がしまったと思った時、ナー坊が正介の背中からとびおりて叫んだ。
「誰がすけべえ爺か。もっとはっきり言うてみ。人間にはそれぞれ個人の事情というものがあるんだ。人の事情も知らないくせに、勝手なことをほざくな」と毅然として啖呵を切った。数十人の飲み客が総立ちになった。その中でナー坊は、きりっとした顔を学生の方にむけて睨みつけ、微動もしなかった。
学生の中の二人が小走りに、ナー坊に近づいてくると、「きみ、かんべんしてやってくれ。あいつは今日は泥酔しているんだ。ぼくらが、代ってこの通り深くあやまる」。二人とも帽子をとってナー坊にお辞儀をしたので、事は円満におさまった。しかしそばにいた正介は、もしこの世の中に引揚者精神というものがあるとすれば、それをいまこの目で見たような思いだった」(『苦いお茶』)。
かつて、ソ連軍による捕虜狩りから逃れるため擬装して背中に負ぶった幼女が、あの生死の境にあった難民生活や引揚げを体験し、成長して目のまえにいる。正介は眼を見張る思いで、彼女の毅然として啖呵をきる姿に、引揚者精神をくみとりました。引揚げ文学者、木山捷平の面目躍如たるところです。
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