ペナン島訪問記 その6
「訪問記」から漏れた話題を三つ。
まずは、ジョージタウンの中心部にあった「孫文の家」(孫中山檳城基地紀念館)について。ひと気のない玄関のベルを押したら、しばらくして家人が戸を開き、にこやかに中へ迎え入れてくれました。
中国では「国父」とも呼ばれ尊敬される孫文は、清朝打倒のための革命資金を得るため世界中をかけ周り、拠点を東京、シンガポールと追われた後、1911年の辛亥革命前にペナン島に移り、約4ヶ月滞在しました。このとき家族5人で過ごしたのが、この「孫文の家」です。 孫文はここで、ペナン在住の華人に対して、「中国の同志は国のために命を犠牲にしているが、華人は資金の提供でのみ国を救える」と演説し、感銘をうけた参加者から次々と資金提供を受けました。その1年後に、孫文は辛亥革命を成功させています。 ペナンでは「ショップハウス」と呼ばれる店舗兼住宅ですが、往時の裕福な中国系商人の住まいの様子が伺えて、興味深い。孫文は、玄関の間の丸テーブルに座り、美しい中庭に佇んで来たるべき革命に夢を馳せていたのかもしれません。 2002年には、当時の中国国家副主席の胡錦涛が訪問しています。
ペナン島北部の海岸沿いにあるトロピカル・スパイス・ガーデン(熱帯香辛料植物園)訪問は、興味深く印象的なエクスカーションでした。 石積みのゲートを潜り抜け、チケット販売窓口で15RM(リンギット、約400円)払って入園しました。入口で、天然ハーブの虫除けスプレーをかけ、日本語音声ガイドを借りました。虫除けは、なかなか心地よい芳香がしています。 なだらかな山に展開したスパイス・ガーデンは、ヤシの木や檳榔樹が生え育った熱帯のジャングルです。 丁寧で詳細な音声ガイドに耳を傾けながらに、たとえばレモングラスの香りを確かめながら、見学コースを進みました。虫除けスプレーの香りがしました。 音声ガイドは、香辛料の歴史についても語りつづけます。350年前、オランダはイギリスから、ニューヨーク・マンハッタン島と交換で、ナツメグの生産地ラン島(インドネシア)を手に入れた。当時、ナツメグは金よりも価値があった、と。 コースの途中に小さな休憩所があり、香辛料の見本が置いてありました。 また、素材を擂り潰すため石で作ったまな板と石棒があり、早速試してみました。何とも言えないスパイスの芳香が、漂ってきました。 そこにオーストラリアから来たというツアー客がやってきて、現地ガイドの説明を聞いていました。熱帯での炎天下、高齢者の多い見学者はいささか疲れ気味でした。 60種類のスパイスの素材となる植物が植わっていましたが、ナツメグ、生姜、ジャスミン、バニラ、コショウなど聞き覚えのあるスパイスについては、興味深く音声ガイドを聞き、植物に見入りましたが、そのうちに疲れが増してきて、その他はパス、コース途中に設置された天然ハーブ飲料をいただき、出口へ向かいました。 ジャングルに生えた植物の果実や花が美しい。 出口には香辛料の売店があり、土産用に赤コショウとクローブを買いました。 トロピカル・スパイス・ガーデンの最後に、ニッパ椰子の屋根のレストランで、遅い昼食をとりました。12種類のタイ・タペスは、とても美味しかったです。眼下に海を見下ろす熱帯にふさわしい素敵なレストランでした。
ペナン島滞在の最終日、市郊外の植物園へ行きました。植物園へ向かう道路は整備されていて交通量も少なく、快適なサイクリングでした。 珍しくきれいな花をたのしみました。 植物園は朝5時から開園しており、市民がウォーキングやジョギングを楽しんでいました。 ここには、猿も多い。 ココナツの実に手を突っ込んでいる猿。 ココナツのいアマ~イ汁を、うっとりしながら、なめました。。 早速、猿真似で、わたしもココナツ・ジュースを飲んでみました。ペナン島訪問で、もっとも幸せなひと時でした。
私のペナン旅行は、こうして終了しました。忙しい仕事の合間に、ジョージタウンとペナン島各地を案内してくれた次男に、感謝したい。17年ぶりの息子との生活、たった10日間の短い時間でしたが、得ることの多い日々でした。
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