ペナン島訪問記 その4
ペナン島の文化的多様性はまず、街で行き交う人びとの顔から、マレー系、中国系、インド系、少数民族系等々民族の多様性として認識される。それは同時に、言語の多様性に反映される。そして何よりも鮮明なのが、宗教的多様性です。
イスラム教のモスクを訪ねました。次男の住むコンドミニアムから自転車で15分程の所に、ペナン州立モスクがあった。建物はまだ新しく、1980年竣工とのこと。
初めてのモスク訪問に少し緊張しながら、なかに入ることの許可を請うと快く承諾されました。ただ、靴と靴下を脱いで素足となり、別室の風呂場のようなところで足を洗うことを、求められました。 足を洗ったのち、礼拝堂まわりの吹抜けのベランダを進みながら、建物の内外を眺めました。廊下の一角にマッサージ機が置いてあったり、中庭には滑り台やベンチが設置されていて、ここがムスリムの憩いの場でもあることを、示唆していました。 大きな樹の下で一組のカップルが、お茶を楽しんでいました。淡いレモン色のイスラム服を着たハンサムな青年が近づいてきて、軽い挨拶の後、写真を撮ってくれました。
ベランダを一周した後、礼拝堂に入りました。一面に敷き詰めた絨毯とドームの天井から吊り下げられたシャンデリア以外に、装飾らしきものはありません。ただ広く、簡素なばかり。絨毯の上では、3,4人のムスリムが、うつ伏せになったりあぐらを組んだりして、礼拝していました。カトリック聖堂での黙想も好きですが、こうしたモスクでの黙想もいいな、と思いました。
中国からの移住者の霊廟のひとつクー・コンシ―(邸公司)を訪ねる。18世紀後半、中国福建省からペナン島に渡ってきた邸一族が、1906年に建立した中国式の寺院(霊廟)です。 寺院内部の祭壇には、邸一族のご先祖様たちが鄭重に祭られている。中国では地縁・血縁が大切にされ、この地に移住してきた華僑の人たちは、同姓や同族同士でコミュニティーを形成し、共通の祖先を祭る霊廟をつくりました。 邸一族歴代の名前を書いたパネルがありました。八世「圭」さんから四十七世「嘉」さんまでの四十代が記されている。 寺院を飾る彫刻やタイルのレリーフは、美しい。 移住当初の日常生活を模したとみられる人形がありました。台所の片隅で、家族が食事をしています。 寺院正面の左右に、銃を持ったインド人の石像が立っていました。霊廟を守るガードマンのようです。ペナンには、こうしたコンシーと呼ばれる中国寺院は、100以上あるそうです。
中国系の人びとにとって、仏教は欠くことのできない宗教です。マレーシアで最大の仏教寺といわれる極楽寺を訪ねました。その仏教寺院は、山の斜面に威容な姿で建っていました。 お釈迦様はじめ仏像は皆、金色に彩られています。老人に促され、幼児たちが正座し、深々と頭を下げて拝んでいた。 弥勒菩薩も中国式では、こんな感じになるのかと、びっくりします。広隆寺や中宮寺の弥勒さまが見たら、何というか? 頂上には、高さ30メートルという巨大な観音像がありました。高崎の白衣観音像より10メートル低い。 美しいパゴダ(仏舎利塔)。
ヒンズー寺院も、ペナン島のあちこちに建っている。最終日、近くのヒンズー寺院に行ってみた。 礼拝堂の屋根には、数多の彫像が飾られており、にぎやかだ。 カメラをズームアップしてみると、おおらかに太った神々が、現われでた。 それぞれの神様に、名前と性格付けがあるのだろう。 像も大切な神様のひとつ。礼拝堂のなかに入ると、4,5人の信者たちが、礼拝堂内をぐるぐる回りながら、祭壇の前に来ると深く拝礼する動作を繰り返していた。
イスラム・モスク、中国霊廟、仏教寺院そしてヒンドゥー寺院とひととおり歩いてみました。このほか、キリスト教各派の教会も数多くあり、ペナン島の宗教の多様性に、ただただ感心するばかり。そして、参拝した信者たちの敬虔な姿は、どの宗教であれ変わりなく、彼らの信仰心の篤さに、頭が下がりました。
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