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2018年7月18日 (水)

浜田知明さんのご逝去

 版画家・彫刻家の浜田知明さんが、昨17日、老衰のためお亡くなりになりました。100歳。戦争のもたらした不条理をテーマにした版画家として、私の記憶に深く刻まれていました。
 私がはじめて浜田知明さんを知ったのは、2007年の夏でした。NHKの「新・日曜美術館」で紹介された『無限の人間愛・浜田知明展』を、桐生市の大川美術館で鑑賞し、その時、戦争の不条理さを刻した『初年兵哀歌』連作に、強い衝撃を受けました。たまたまその日、美術館滞在中に新潟・中越沖地震(7/16)の強い揺れを体験したことも重なり、忘れられない一日となりました。 

 その日のブログから、『初年兵哀歌(歩哨)』(エッチング1954)についての記事を、再録します。Photo_5 「真っ暗な兵舎に、ひとりの初年兵がいます。小さな窓から射しこむ光が、この兵の姿を映し出します。眼には一筋の涙がながれ、口を少し開けて力なく、絶望している。銃口を喉にあて、左足の親指で銃の引鉄を、いままさにひこうとしている。この兵隊に、何があったのでしょうか。敵と味方の死、殺す・殺される日々、不条理な軍隊生活・・・・・。
 浜田の銅版画は、一切の虚飾を取り除いて、直接にテーマを突きつけてきます。戦争の悲惨さが、初年兵のからだのすみずみに表現され、観るものに強く訴えてきます。」

 これを書いた1か月後、買い求めた浜田知明著『よみがえる風景』(求龍堂 07.4.3 刊)読後に書いた記事から、『初年兵哀歌(風景)』(エッチング1952)紹介部分などを再録します。Photo 「最も衝撃的な作品です。著者の言葉を引用します。『竊盗、強盗、強姦、放火、殺人、ミケランジェロの彫刻のように素晴らしいポーズで死んでいた男達、衣を剥ぎ取られ恥部を天に晒け出して、転がされていた女達・・・』。地平線の彼方に、行進していく日本軍が小さく刻まれ、この惨劇がほんのすこし前に起こったことを、教えてくれます。別のページに『戦地でのスケッチ(中原会戦―関家溝にて)』(1941)と題したこの作品の原図だと思われる素描があります。著者の実体験にもとづく作品であることが分かります。 
 浜田知明は、1917年熊本に生まれ、1939年東京美術学校卒業とともに熊本歩兵連隊に入隊し、翌1940年22歳のとき、中国大陸に派遣されました。その後、敗戦により除隊復員するまでの5年間、軍隊生活を経験しました。浜田は、軍隊生活について次のように書いています。『旧日本軍のやり切れなさは、戦場における生命の危険や肉体的な苦痛よりは・・・戦闘行為に必要な制度として設けられた階級の私的な悪用からくる不条理にあった。戦地に一歩足を踏み入れた時、そこで行われていることが大東亜共栄圏建設のための聖戦という美名といかに裏腹なものであり、日本国民の福祉のために行われているはずの戦争が、実は日本を支配しているごく一部の人たちのためのものであるらしいことを私は知った』。戦後、浜田が戦争にこだわり続けた原体験は、此処にあったのだと思います。
 最後に、表紙の帯に書かれた浜田の言葉を引用します。『愛と戦争と人間について』銅版画に刻み続け、彫刻を彫り続けてきた浜田知明の、現代の日本人への静かな、しかし毅然としたメッセージです。
 『戦死したとしても、魂が靖国に行くなどと考えたことはなかった。
死者の魂が棲むのは、彼らが愛した肉親や親しい人たちの心の中であり、その人たちが死者を想うとき、その時だけ彼らはよみがえる。
戦争を知らない世代の一部の人たちから最近勇ましい言葉が聞かれるようになった。私の瞼にはまだ白木の箱に納まり、戦友の腕に抱えられて還ってきた英霊たちの姿が残っているというのに。(熊本日日新聞2004.9.24朝刊より) 』

 これらの浜田知明作『初年兵哀歌』は、ジャック・カロ(フランス・17C)の『戦争の惨禍』やフランシスコ・ゴヤ(スペイン・18C)の『戦争の惨禍』とともに、戦争の悲惨さと不条理を刻んだ版画として、世界の人々の記憶に残りつづけるだろうと思います。

 浜田知明さんのご冥福を、心からお祈り申し上げます。

 

 



 

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