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2019年7月26日 (金)

北ドイツ周遊記-ハーメルン-

7/3,4 ハーメルンHameln

   ハーメルンは、ネズミ(Ratten)の街だった。街中いたるところに、ネズミがいた。舗道の敷石にも、鉄橋のうえにも、居酒屋の名前や看板にもネズミがいた。そして、人形店では、色とりどりのネズミを売っていた。ついには商店街で、魔女がネズミの血やネズミの毒入りジュースを売っていた。

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   街中にネズミがいっぱいおれば、おのずからネズミ捕り男が登場する。まず、ネズミ捕りの家Rattenfängerhausと称したレストランがあった。このレストランの看板では、ネズミを従えた男が笛を吹いている。そういえば、笛を吹いている男は、街のあちこちにいた。ブロンズ像の男も笛を吹いていたし、ビルの壁面に描かれた白いシルエットは、間違いなく、笛吹き男だ。あれっ、レンガの壁にはめられていたブロンズのレリーフも、笛吹き男だ。 ああ、この笛吹き男がネズミ捕り男なんだな、と納得する。

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 ちょっと待てよ。ホテルの部屋の絵や市庁舎の前にあった笛吹き男は、多くの子供たちを従えていたぞ。ネズミ捕り男と多くの子供を従えた笛吹き男は、同一人物なのだろうか。

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 阿部謹也著『ハーメルンの笛吹き男』から、グリム童話の「ハーメルンのこどもたち」(1816)引用部分を抜粋する。

   1284年にハーメルンの町に不思議な男が現れた。この男は様々な色の混じった布で出来た上着を着てたので「まだら男」と呼ばれていたという。男は自ら鼠捕り男だと称し、いくらかの金を払えばこの町の鼠どもを退治してみせると約束した。市民たちはこの男と取引を結び、一定額の報酬を支払うことを約束した。そこで鼠捕り男は笛をとり出し、吹きならした。すると間もなく、すべての家々から鼠どもが走り出てきて男の周りに群がった。もう一匹も残っていないと思ったところで男は町から出て行き、鼠の大群もあとについていった。こうして男はヴェーゼル河まで鼠どもを連れてゆき、そこで服をからげて水の中に入っていった。鼠どもも皆男のあとについて行き、溺れてしまった。

   市民たちは鼠の災難を免れると、報酬を約束したことを後悔し、いろいろな口実を並べたてて男に支払いを拒絶した。男は烈しく怒って町を去っていった。6月26日のヨハネとパウロの日の朝―他の伝承によると昼頃となっているが―、男は再びハーメルンの町に現れた。今度は恐ろしい顔をした狩人のいで立ちで、赤い奇妙な帽子をかぶっていた男は小路で笛を吹きならした。やがて今度は鼠ではなく4歳以上の少年少女が大勢走り寄ってきた。そのなかには市長の成人した娘もいた。子供たちの群れは男のあとについて行き、山に着くとその男もろとも消え失せた。

   こうした事態を目撃したのは、幼児を抱いて遠くからついていった一人の子守娘で、娘はやがて引き返して町に戻り、町中に知らせたのである。子供たちの親は皆家々の戸口からいっせいに走り出てきて、悲しみで胸が張り裂けんばかりになりながらわが子を探し求めた。母親たちは悲しみの叫び声をあげて泣き崩れた。ただちに海陸あらゆる土地へ使者が派遣され、子供たちかあるいは何か探索のてがかりになるものをみなかったかが照会された。しかしすべては徒労であった。消え去ったのは全体で130人の子供たちであった。

   子供たちが消え失せたハーメルン近郊の山はポッペンベルクと呼ばれ、麓の左右に二つの石が十字形に建てられていた。二、三の者のいうところでは子供たちは穴を通り抜けジーベンビュルゲン(ハンガリー東部の山地)で再び地上に現れたという。(引用終わり)

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   阿部謹也によれば、「ハーメルンの130人の子供の失踪伝説」と「ネズミ捕り男伝説」とは本来別のものだったのが、16世紀半ばになって初めて、昔からあった「子供失踪伝説」に「ねずみ男伝説」が合体したのだという。そして、この二つの事件を結びつけたのが「笛吹き男」だった、と書いている。時代は異なるとはいえ、ハーメルンの人たちにとって、130人もの子どもたちの失踪事件は、忘れがたい郷土の歴史上の大事件であっただろうし、また飢饉や疫病をもたらしたネズミによる深刻な被害もまた、決して忘れる事のできない忌まわしい記憶だったのだ。ドイツ社会では、過去の忌まわしい事件や出来事が、童話や伝説として語り継がれている。

   ハーメルンの道も、中・近世の木組みの住宅と石畳みからなり、なかなか魅力的だ。

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  ハーメルンで印象的だったことのひとつは、ベルリンでは1か所しか見つからなかった「つまづきの石」が、6か所で17個も見つかったことだ。このうち2か所について、ここに書き留めておきたい。

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   「ここの住民ヘレーネ・プロッホ(1879生れ)とメタ・プロッホ(1881生れ)は、1937年にベヒタへ非自発的に転居させられ、1941年にミンスクへ強制送還、そして1942年7月28日、ともに殺害された」

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   「ここの住民モーリッツ・ブランケンベルク(1872生れ)とエリーゼ・ブランケンベルク(1883生れ)は、1936年にハノーヴァーへ非自発的に転居させられ、1941年にリガへ強制送還・殺害」「ロッテ・ブランケンベルク(1906生れ)、1930年ハノーヴァーへ非自発的転居、1941年リガへ強制送還・殺害」  

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