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2019年7月27日 (土)

北ドイツ周遊記-ケルン-

7/5 ケルンKöln 

   ドイツ旅行の最終日には、ケルン大聖堂Dom St.Peter und Mariaを訪ねた。
   まず、その大きさに圧倒された。大聖堂前の広場に集う人びとが、豆粒のように小さく見えた。ファサードを飾る数々の彫刻も精巧を極め、美しい。

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   大聖堂入り口で、”DOMFORUM“と書いた案内リーフレット(日本語)を1ユーロで求め、これを読みながら大聖堂のなかを観た。奥の小さな礼拝室では、ミサが行われており、時おり聖歌を歌う声が聞こえてきた。

   案内書によるとケルン司教区の歴史は4世紀までさかのぼり、現在のゴシック大聖堂建設以前の9世紀にすでに聖堂があった、という。12世紀に東方3博士の遺骨がミラノから送られ、ヨーロッパ全土から巡礼者がやってきた。そこで、巡礼教会にふさわしい大聖堂の建設が1248年から始まった。しかし、16世紀にはいり宗教改革の影響から建設作業は中断した。大聖堂が完成したのは、建設開始から600年以上経った1880年だった。

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   19世紀、バイエルン王ルードヴィッヒ1世が奉納したというバイエルン・ステンドグラス。色彩の美しさがきわだっていた。

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   2007年公開のゲルハルト・リヒターの抽象的な幾何学模様のステンド・グラス。これの採用に当たっては、抽象的すぎる、との批判があったようだが、実は既存のステン・ドグラスのなかにも、抽象的表現が多くあるとして、採用された。

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   十字架から降ろされたキリストを抱く聖母マリア、台の上に乗せられたキリストの遺骸を見つめる聖母マリアと女たち。ピエタ像は、今回の旅ではベルリンでケーテ・コルヴィッツの作品をみた。その他、今までも多くのピエタ像を見てきたが、作者による表現の違いは多様であっても、聖母マリアの悲しみの顔はどれも変わらない

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   ケルン大聖堂の最も大切な遺物は、東方3博士の遺骨を納めた聖櫃だ。この聖櫃を中心に、大聖堂中央礼拝室がある。床のモザイクは、大聖堂以前に建っていた聖堂を支え持つヒンデボルト大司教(818没)の図。

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   大聖堂の内陣をリーフレットの案内に従って観た後、正面向かって右の南塔に登った。途中、階段を下りてきた日本人参拝者から励まされ、眼下を見るのを避けながらひたすら階段を上り、口先でぶつぶつ数えた階段数は、536段だった。ライン河の流れるケルン市内が見えた。

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   ドイツ旅行最後の夜、ライン河にかかるホーエンツォレルン橋 Hohenzollernbrücke を渡り大聖堂対岸へ行った。ケルン大聖堂の最良のビューポイントとされる地点だ。ここでゆっくりと日没を待ち、ライトアップされた大聖堂を眺めたい。

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   対岸には、若者たちが徐々に集まり、やはり日没を待っていた。金曜日の夜にかかわらず、観光客はさほど多くはなく、皆静かに待っていた。そして10時30分、まず橋梁に灯りがともされ、しばらくして大聖堂がライトアップされた。娘がちいさく「きれいやなあ!」とつぶやいた。

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   大聖堂に近づき下から見上げると、遠方から見た姿とは違った大聖堂がそこにあった。それは夜空にぼおっと浮き上がり、幻想的な雰囲気を醸し出していた。ドイツ旅行の最後の夜に、これほどにも美しい建築物を間近に見ることができ、満足感に満たされた。年甲斐もなく、「わあっ!」と叫びたくなるような衝動を覚えた。

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   前日、ケルンの街に入るためライン河を渡ったとき、橋の欄干にたくさんの虹の旗がはためいており、何かイベントがあるのかなと思った。大聖堂をみたあと市内を散策したのだが、ある広場で多様な生(性)を讃える集会の準備がされていた。様々なカップルがテントのなかで、食べ物を商う屋台の準備に余念がなかった。何かにこやかな雰囲気が、広場に漂っていた。

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   北ドイツ周遊の旅は、終了した。昨秋から半年かけて準備をし、11日間で7市を巡った。ドイツにあって日本にないもの、あるいはドイツに出来て日本には出来ないこと、こんなことも考えてみたいと思って出かけた。ベルリンのホロコーストの遺跡訪問は、想像以上にショッキングだった。歴史を記憶(記録)し、かつての自国の加害者性に向き合うこと、これはドイツに出来て日本に出来ていないことのひとつだ。ホロコーストと向き合うドイツ社会の徹底性と執拗さは、目を見張るものがあった。何がそうさせるのか。この短い旅ではもちろん、簡単に答えは出てこないだろう。ただひとつ、手掛かりになるかもしれない発見があった。加害と被害の記憶(記録)は、徹底的に「個人」を中心になされていることだ。ヨーロッパ近代の「個人主義」の内実に触れたような気がした。

追記:ドイツ最後の記述に、しかも大聖堂の話題のあとに、すこし尾籠な話で恐縮だが、トイレにまつわる話を書いておく。それというのも、ケルン大聖堂の正面にあったレストランのトイレが、衝撃的なトイレであったからだ。隣で小便をしていた同世代の男性が、大の方を見て思わず「おもろいInteresting!」と叫んだのだ。何かと思って振り向くと、そこにあったトイレ個室のドアは透明のガラス・ドアーだった。ドアーの内側では、初老の男性が、うつむいて便座に座り、踏ん張っていた。嗚呼(ああ)!

 次に有料トイレの話を少し。高速道路では1時間から1時間半をめどに休憩するようにしていたのだが、休憩のたびにトイレを済ますように心がけていた。1日2リットル以上の水を飲み、排尿のあとも短時間で尿意を催すためだ。パーキング・エリアのトイレ料金は、ほぼ0.70ユーロだった。ユーロを持たない私は、トイレに行く都度、娘から1ユーロ貨をもらって用を済ませた。毎回同程度の量の排尿があればいいのだが、ときには小便器の前に立っても、少ししか出ない時があった。0.70ユーロも払ってこれだけしか出ないのか、と腹立たしかったり無念だったりした。自分を「ケチな男」と思いつつ。

 もうひとつ。便座から立ち上がって水を流した瞬間、便座がやわらかくなって歪みだしたので驚いた。思わず手で触れてみると、もとの固い便座のままだ。よくみると、尻にあたる便座の部分が、ゆっくりと回転していた。便座を消毒しているのだ。「おおっやるっ、ドイツ!」と小さくつぶやいた。外国人観光客が日本のトイレで、はじめてウォッシュレットを体験したら、やはり同じように「おおっやるっ、ニッポン!」となるのかもしれない。

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