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2019年7月20日 (土)

北ドイツ周遊記-出発・メルン-

   昨年の晩秋、ヨーロッパ旅行を企画したとき、北ドイツをじっくり見て回りたいと思った。そこには、トーマス・マンやギュンター・グラスの小説の舞台があり、阿部謹也のドイツ中世史の世界が広がっているだろう。また、ベルリンを中心に、ドイツ社会がナチズムの加害の歴史に向き合い、その記憶を紡ぎつづけている証が、各処にあるはずだ。もとより、美しい街並みや建物、静かな森と湖、ルネサンスの絵画、そしてバッハの教会音楽など、目眩(くら)めくほどの魅力をもった街々が予想された。

 ベルギー北部に住む娘の運転する車に同乗し、6月25日ベルギーを出発、ドイツ最初の訪問地メルンを目指した。650㌔の距離を一気に行くのはきついので、途中、デートリンゲンDötlingenという田舎町のホテルに泊まった。そこは、森のなかの瀟洒な建物のホテルで、おそらくそう遠くない所に住む人びとが家族や友人とともに食事や滞在を楽しんだり、企業の研修に利用したりする施設のようだ。大きな石臼が、玄関前に据えてあった。

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6/26 メルンMölln

 最初の訪問地メルンに到着。ここは、ティル・オイレンシュピーゲル終焉の地。阿部謹也のドイツ中世史関連本のなかで、『ハーメルンの笛吹き男』(研究書)とともに『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』(翻訳書)は断然面白い。ティルは、14世紀に実在したとされるいたずら者(トリックスター)で、北ドイツ各地を旅する道化師であり、毛皮や織物や眼鏡をつくる移動職人であり、ときにはニセ聖職者になりすます。嘘と機転と欺きで、人びとを翻弄し、また楽しませた。まずは、聖ニコライ教会の前庭階段下に居たブロンズのティル・オイレンシュピーゲルをじっくり眺めたい。道化師に身をやつしたティルが、意味ありげにニンマリ笑っている。立てた右手の親指は、あまたの訪問者に握られ金色に光っている。

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 ティルが、聖職者や金持ち、権力者を手玉にとって懲らしめたり騙したりするときは溜飲が下がるものだが、ときには貧しい農民や小商人をからかい金品を奪ったりすると、この野郎となる。また、排便や放屁の悪戯が、幾度となく出てくる。その悪臭ふんぷんたる汚さは、呆れるほど。なんでこんな男が、ドイツでは人気者なのだろうか。19世紀末には、リヒャルト・シュトラウスが交響詩『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』を作曲までし、今なお多くの人びとに愛されているという。ティルの銅像前では、夏休み前の中学生たちが熱心に、先生の話を聞いていた。ティルの後ろの石壁に、「G.バーナード・ショー 名誉市民 1950」と刻したブロンズの肖像画がはめ込まれていた。反骨の人ショーも、ティルのファンだったのか。

 ティルの話はともあれ、メルンの町は古い家並みを残し、静かでほっとする。かつて東山魁夷はこの地を訪れ『水辺の町』という作品を残し、「メルンは小さな湖と深い森に囲まれた町」と讃えた。

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 聖ニコライ教会玄関のレンガの壁に、小さな石碑が貼り付けてあった。1937年3月、ナチスに服従する司教に対し抗議の声を上げたリューベックの若者163人の勇気ある行為を讃え、記録に残したもののようだ。また、この小さな田舎町に、不幸な過去があった。1992年11月、極右の若者がトルコ人の住む住宅に放火し、女性と子ども3人が焼死した、という。今日の移民・難民排斥問題につながる、悲しく忌まわしい事件だ。

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