« 北ドイツ周遊記-ベルリンの2日目- | トップページ | 北ドイツ周遊記-クヴェードリンブルク- »

2019年7月25日 (木)

北ドイツ周遊記-ライプツィッヒ-

7/2 ライプツィッヒ Leipzig

   ライプツィッヒは、ヨハン・セバスチァン・バッハの街だった。到着後すぐに訪ねたトーマス教会は、まさにバッハゆかりの場所だった。バッハは、1723年から1750年の死を迎えるまで、市とこの教会の音楽監督を務めた。代表作のひとつ『マタイ受難曲』は1727年、この教会で初演された。教会の前庭には、バッハのブロンズ像が建ち、教会内部のステンドグラスには、バッハの肖像が描かれていた。そのステンドグラスには、バッハの他、メンデルスゾーンやマルティン・ルターの肖像も描かれていた。メンデルスゾーンは、自らの音楽的業績とともに、忘れられようとしていたバッハの音楽をよみがえらせた功績が、人びとに賞賛されたのだ。

Img_0088 Img_0094Img_0107 Img_0111

   トーマス教会へ入ってしばらくすると、パイプオルガンの重厚な音色が、身廊内に響き渡った。若い男性オルガニストが、夜のコンサートに備えリハーサルをしているようだ。リハーサルとはいえ、演奏は本番と何ら変わることなく、演奏者の真剣味が伝わってくる。ライプツィッヒでは是非、オルガン演奏を聴きたかっただけに、この予期しない鑑賞は、うれしかった。このオルガンは、1889年製作だそうだ。ステンドグラスのバッハの肖像画の真向かいには、2000年に設置されたバロック様式のバッハ・オルガン(写真右)があった。18世紀のバッハ時代のオルガンの音色が再現されているという。

Img_0100 Img_0116

   この日の夜、トーマス教会でコラール(讃美歌)とオルガンのためのコンサートがあった。バッハの曲を中心に、ソプラノ独唱やアルトとテノールのデュエット、ソプラノ・アルト・テノール・バスの4声コラールが教会内に響き渡った。また、4声コラールとともに合唱がつづき、教会のなかは、マリアを讃える音楽に満たされた。讃美歌のあとには、オルガンの演奏があった。この重低音はなんと表現していいのか、言葉にならない。カトリックのグレゴリアン聖歌を大聖堂で聴きたい、とかねてより願望しつついまだかなえられないが、こうしてバッハのコラールをはじめてプロテスタント教会で聴くことができ、幸福感にひたされた。

   この日のコンサートの中心演目は、〈Johann Sebastian Bach «Meine Seel erherbt den Herren»BWV10〉(「わが魂は主をあがめ」BWV10)だと、手渡されたプログラムにあった。マリアのエリザベト訪問の祝日に歌われるコラールだという。

   これは聖書の、マリアが天使より受胎告知を受け、同じく懐妊していた親族のエリザベトを訪問し、ともに祝福しあうという場面である。この日、ルカによる福音書が朗読されるが、その中に、次の言葉があった。ニコライ教会のところで触れる、東ドイツ平和革命を成し遂げたライプツィッヒの街にふさわしい聖書の言葉だと思った。

                     主はその腕で力を振るい、
                     思い上がる者を打ち散らし、
                     権力ある者をその座から引き降ろし、
                     身分の低い者を高く上げ、
                     飢えた人を良い物で満たし、
                     富める者を空腹のまま追い返されます。

   バッハの墓に手を合わせ、トーマス教会を後にした。

Img_00391 Img_0118_20190725123901

   トーマス教会の斜め向かいに、バッハ博物館があった。博物館の広報担当という日本人男性の熱心な勧めもあって、この博物館に入った。入り口には、バッハの石膏像が来客を出迎えており、展示室ではバッハの家系図を見たりその生涯をたどることが出来た。また、バッハの全曲を視聴できる部屋や鉄のパイプを手で触れるとイヤフォンからバッハ音楽が流れてくるという装置など、様々な工夫があって楽しむことができた。音楽に疎くとも、日ごろバッハ音楽を楽しんでいる者の一人として、このライプツィッヒでバッハとその音楽に触れることが出来たことは、なんとも心地よい経験だった。

Img_0136 Img_0149 Img_0147Img_0151 

   ライプツィッヒのもう一つの顔は、1989年東ドイツ平和革命Friedliche Revolutionの出発点となった街だ、ということだ。その中心に、ニコライ教会Nikolaikircheがあった。ニコライ教会は1165年創建の市内最古の教会で、そのパイプオルガンはザクセン州で最も大きく、全ドイツでも有数の大きさだという。シュロの木をかたどったという淡いピンクの列柱が、身廊の優雅さを際立たせている。

Img_0192 Img_0204

   聖具室には、東ドイツ平和革命時の写真や記事が掲示されており、この教会が革命の中心になっていたことをうかがわせた。1982年以来毎週月曜日には、クリスチャン・フューラー牧師の呼びかけによってニコライ教会で「平和の祈り」の集会が開かれ、一般市民とともに多くの平和・人権・環境などの市民運動家たちが集まっていた。1989年9月4日から「平和の祈り」のあと「月曜デモMontagsdemonstration」と呼ばれる街頭行動がとられるようになり、デモ参加者は日増しに増え、10月9日の月曜デモには7万人が参加するまでになった。こうしたライプツィッヒ市民の勇気ある行動をきっかけに、反体制運動は東ドイツ全域に拡大し、ついに1989年11月9日、ベルリンの壁は崩壊するに至った。一人の犠牲者を出すことなく、東ドイツの独裁国家体制は崩壊した。「平和革命」と言われるゆえんである。ライプツィッヒ市民のシュプレヒコール »wir sind das volk ! »(我々は人民だ!)は、平和革命を象徴する言葉となった。

 Img_0208 Img_0205

   ニコライ教会のそばに、ニコライ教会の列柱をかたどったニコライ記念柱(1999/10/9除幕)が建っていた。またアウグストゥス広場には、歩道のうえに大きな金色の卵型のモニュメントが建っており、「民主主義の鐘」Demokratieglocke(2009/10/9除幕)と刻まれていた。アウグストゥス広場が、平和革命の重要な舞台となったことを示している。

Img_0224 Img_0235_20190725125301

   ライプツィッヒ最後の訪問地は、旧国家保安省記念館Gedenkestätte Museum in der „Runden Ecke" だった。ここには、通称シュタージのライプツィッヒ支部が置かれていた。シュタージによる数々の人権侵害については、前ドイツ大統領ヨァヒム・ガウクの自伝『夏の日に訪れる冬、秋の日に訪れる春』(2009)や春江一也の小説『ベルリンの秋』(1999)などによって、それなりの知識はあったが、現地を訪れてみてその醜悪さにあらためて嫌悪感を覚えた。写真には、シュタージが使用した盗聴器と変装道具が映っている。シュタージによる東ドイツ国民の監視は徹底を極め、夫が妻を監視し、父親が息子を監視するという身内同士の監視・報告が常態化していた。IT化の進んだ現在からみれば、シュタージの使っていたという盗聴器や隠しカメラは、ちゃちでむしろ素朴ですらあるが、そこに厳然と流れる人を人と見ない非人権思想は、ただただ強烈な恐怖心を抱かせる。シュタージに現在のIT技術を持たせたなら、どのようになるのか。想像を巡らせてみることが、今、極めて重要なことだと思う。すでに多くの国家が、「テロ防止」を口実に、IT技術を使ったきわめてスマートな諜報活動に踏み出そうとしている。

Img_0255 1-img_0008 Img_0019 Img_0017_20190725125501

   この街にもゲーテ像があった。ゲーテは16歳の時、ライプツィッヒ大学に入学しているが、病気のため3年で退学している。街なかには多くの彫刻作品が建っていたが、そのなかで最もユニークだったのが、5人の裸の男女が金づちやのこぎりの道具を抱えて十字架上に立っている彫像だ。ちょうど、ベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統一された頃の制作という。国家が崩壊した東ドイツのライプツィッヒで制作されたことを考えると、時代に取り残されたライプツィッヒ市民を表現したものかもしれない。意味が分からなくても、こうしたユーモラスな彫像は見ているだけで楽しくなるので、好きである。

Img_0246_20190725125701 Img_0228

 

 

« 北ドイツ周遊記-ベルリンの2日目- | トップページ | 北ドイツ周遊記-クヴェードリンブルク- »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 北ドイツ周遊記-ベルリンの2日目- | トップページ | 北ドイツ周遊記-クヴェードリンブルク- »

無料ブログはココログ