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2019年7月20日 (土)

北ドイツ周遊記-リューベック-

6/26 リューベックLübeck 

 今回の旅行企画で、ベルリンの次に行き先が決まったのは、ここリューベックだった。昨年末、トーマス・マンの長編小説『ブッデンブローク家の人々』をのめり込むように読んだとき、舞台となったバルト海沿いのこの街を是非、訪ねてみたいと思った。マンの一族をモデルにしたクロニクル(年代記)には、19世紀のリューベックの市民階級4世代にわたる盛衰が詳述されていた。

 夕方の6時ころ、リューベックに到着するとまず、聖ペトロ教会の塔に昇り、街を鳥瞰した。まず目に飛び込んできたのは、ホルステン門だった。夕日の逆光に遮られてまぶしく、目を細めて眺めた。東山魁夷の『霧の町』のホルステン門が、まさにそこにあった。北の方角には、マリエン教会の二つの塔が並び立ち、その右側に市庁舎とその広場が見える。南東の方を眺めると、やはり双塔を持った教会があった。カトリック大聖堂だ。

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   塔を降りてまず向かったのが、リューベックの象徴ともなっているホルステン門。夕日を背に受けての撮影も幸いし、真っ青の空に立ち上がった巨大な門が美しい。門の上部にラテン語で掲げられた「内に結束、外に平和を」というスローガンは、ハンザ商人たちの心意気と願望を表したものだろう。 
 街の中心部に建つ市庁舎は、その形状も色彩も大変ユニークだ。円形の風穴をもつファサードと緑色のとんがり帽子を被った細い尖塔、そしてその右側の建物の壁は、黒緑色をしている。レンガに塩と牛血を混ぜたものだという。

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 ホルステン門へ向かう途中、人形博物館などの古い建物に囲まれた、魅力的な小路があった。東山魁夷の3枚のリューベック画の内のひとつ、『石畳みの道』ではないか。画家によって「渋みのある赤煉瓦の壁、ガス燈の形をそのまま残す街燈」と表現された小路そのものだ。なんとなく嬉しくなる。
 すでに時刻は夜 ?の8時を過ぎている。お腹もすいてきたので、夕食の場所を探しながら、トラベ運河沿いを歩いた。やや肌寒い風を受けながらも、大勢の観光客たちが、運河沿いのカフェーでビールやワインを楽しんでいる。広大な空はいまだ明るい。階段状のファサードで飾った商館が運河に影を映し、その背後に教会の尖塔を配した景観は、息をのむ美しさで強く魅せられた。

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6/27 リューベック二日目

 リューベックへのこだわりから、当地滞在を二日間とした。そこで、二日目の午前中は、郊外へ出てみた。リューベック旧市街の北はずれ、オールド・ポート・ゴスムンド。こぎれいな住宅街を通り過ぎ、突き当りの運河沿いの集落に車を乗り入れると、それまでの住宅地とはちょっと異質な一角が現れた。屋根を葦で葺いた農家風の住宅だ。まず、色鉛筆の板戸が迎えてくれた。ちゃんと消しゴムまでついている。そして、葦葺き屋根の家々。人は少なく静かで、たまに運河を渡る小船の機関音がするぐらいだ。運河で小型船舶を運航し、庭で花や野菜づくりを楽しむ人たちが、ここに居住しているようだ。人生を、お気に入りの住宅や美しい景観とともに楽しむ術を、人びとは心得ている。今回の北ドイツ旅行で終始、こうした感想をもちつづけた。

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 リューベックは、二人のノーベル賞受賞者を出している。ひとりはトーマス・マン。長編小説『ブッデンブローク家の人々』が評価され、1929年にノーベル文学賞を受賞している。そしてもう一人の受賞者が、ヴィリー・ブラント。東ドイツをはじめソ連、ポーランドなど東側との平和共存を進める東方外交の展開と功績により1971年、ノーベル平和賞を授与された。また、リューベック出身者ではないが、1995年以来リューベック郊外に住みつづけたギュンター・グラスも、代表作『ブリキの太鼓』で1999年、文学賞を受賞している。ノーベル賞と縁の深い街である。

 まず、ヴィリー・ブラント・ハウスを訪ねる。西独首相ブラントは、1970年12月7日、ポーランドの首都ワルシャワを訪れた際、1943年に起きワルシャワ・ゲットー蜂起を記念する記念碑の前で、両膝をついて跪き両手を組んで黙祷した姿が、強く印象に残っている。ギュンター・グラスはこの時の様子を、みずからを右翼的な記者になぞらえて、次のように表現した。「首相は番外の一芝居を打ったんだな。階段の一段目に膝をつくならそれほど大した演技でもないが、濡れた大理石の平面に、手で支えることもしないで、直接膝の内側関節を曲げてストレートに地面につけたのだ。そのときに両手はサックドレスの前に組み、法王よりももっと法王的に聖金曜日のような顔つきをし、カメラマン包囲陣のシャッターの音を待って一分強も我慢をした。それからまたしっかりした足取りで一方の足、他方の足を出して歩くことはしないで、まるで何回も鏡の前で練習しておいたようにぴょこんと立ち上がり、立ったまままるで精霊が眼前に本当に姿を顕わしたような顔をして、われわれ皆の頭越しにはるかかなたを見つめた。それはまるでポーランド人に対してだけでなく、全世界に向かっていかに写真写りよく許しを乞う必要があるかのようだった。・・・」(ギュンター・グラス著『私の一世紀』より)。グラスの文章は、やや皮肉を込めながらも、当時の現場の様子をリアルに再現している。館内では往時のブラントの映像が上映され、中庭には、ベルリンの壁の断片が移築されていた。

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   聖マリア教会の北側すぐ近くに、ブッデンブローク・ハウス(トーマス・マン博物館)があった。ここは、マンが生まれ育った住宅で、『ブッデンブローク家の人々』のモデルとなった家である。19世紀の豊かなリューベック商家の生活模様を垣間見ることができる。小説のいくつかのシーンを思い出しながら、ブッデンブローク家の人びとの息遣いを感じようと努めた。館内には、マン家の系図や歴史が壁に貼られ、トーマスの肖像画や蔵書が置かれている。代表作『ブッデンブローク家の人々』の初版本が、ガラスケースに収められており、その近くに、岩波文庫版の日本語翻訳書が置かれていた。

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 博物館の連続見学で疲れた。カフェーでお茶とする。近くに、エマニェル・ガイベル(1815-1884)と名前の刻されたブロンド像があった。シューマン作曲の『流浪の民』の作詞者という。カフェーに至る小路が、なかなか感じが良い。店に掛かっていた看板も、かわいい。のんびりと休憩。

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 ハンザ期のリューベック繁栄を象徴するもうひとつの建物、聖マリア教会(1250-1350建設)を訪ねた。塔の高さ125メートル、天井の高さ83メートルで、高さではドイツ3番目、レンガ造りではドイツ最大の教会という。ハンザ商人たちの心意気を示した建物で、バルト海沿岸のおよそ70の教会が、聖マリア教会の建築様式を手本にしたという。

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 この教会も、第2次世界大戦では連合軍の空爆により、壊滅に近い打撃をうけた(写真左)。現在の建物は、戦後復元されたものである。教会内の一角には、崩れた鐘楼から落下した鐘がそのまま残され、当時の悲惨な様子を伝えている(写真右)。

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 側廊の壁で骸骨たちと手をつないで踊るのは、大司教か修道士かあるいは貴族たちか。骸骨を描いたステンドグラスが、妙にリアルで美しかった。

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 鉄骨で組まれた足場では、女性が二人、彫刻の補修作業をしていた。教会の外に出ると、長い尻尾の悪魔が石椅子に座り、酒に酔ったような顔をこちらに向けた。この悪魔は、ワイン酒場造りを求めて、教会建設を手伝ったり妨害したりしたそうだ。

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   リューベック滞在も時間わずかとなった。夕方、カトリック大聖堂でオルガン演奏を聴きながら、かつてバッハがこの街に滞在し、教会のオルガニストを目指していたことを思った。重奏低音の心地よい音色に、思わず舟をこいだ。
 船員組合の家で夕食をとった。観光客であふれかえる室内の天井には、帆船の模型や絵が飾られていた。この家の小さな窓の何気なさに気をひかれた。
 リューベック滞在の最後、遊覧船に乗ってトラベ運河の周遊を楽しむ。この時初めて、リューベックがバルト海につながる港町であることを知った。

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