山本宗補・写真展『なじょすべ 詩と写真でつづる3・11』開催中
3・11 東日本大震災・東電福島第一原発事故から9年経った。あの時の恐怖と衝撃、被災地の人びとの悲しみと苦痛、そして私たちの社会が学んだ痛恨の教訓を記憶しつづけるため、2014年から毎年『3・11写真展』を開催してきた。今回は、フォトジャーナリストの山本宗補さんと福島の詩人・関久雄さんの、詩と写真のコラボレーション作品『なじょすべ 詩と写真でつづる3・11』展を開催している。
開催初日の昨日、山本宗補さんが会場に駆け付けた。
(開催の詳細はチラシ参照 ダウンロード - e38381e383a9e382b72.pdf)
今回は、新型コロナウィルスの感染拡大というアクシデントに襲われ、各種イベントの自粛が声高に叫ばれているなかでの開催だ。3・11の慰霊祭も脱原発集会も、多くが中止に追い込まれた。過去6回の写真展では、3,4日間に200人前後の観客が入場し、込み合うということはなく、私たちなりの新型コロナウィルス感染予防策を講ずれば開催可能だと判断した。アルコール消毒、マスク着用、連続換気、会話禁止、茶菓提供と本販売の中止、等々を打ち出し、開催した。しかし、初日、2日目両日の入場者数は、昨年の30~50%程度。残り明日、明後日ははたしてどうなるか。
このブログでは、山本宗補さんの了解を得て写真展で展示した作品の何枚かを掲載し、入場できない多くの方々に写真集『なじょすベ』を紹介したい。まずは、作者挨拶と主催者挨拶を掲げ、そのあと作品を掲示する。
ご 挨 拶
福島弁の「なじょすべ」とは、どうしたらいいんだろうとか、どうすればいいのだろうと悩み、深く思案する時の表現です。
不思議なことですが、写真詩集「なじょすべ」でコラボした福島弁の詩人・関久雄さんが表現する詩と出会う前に、私は関さんを福島市での集会や都内での脱原発デモで撮影していました。
詳しい経緯は写真詩集のあとがきに書きましたが、関さんの詩は時には写真以上にものを言い、読み手の想像力を駆り立てます。関さんの詩は読み手の心の中に入り込み、妙な感情を呼び覚まします。
福島の原発事故が、いつ完全に収束し廃炉の時が来るか、終わりは見えません。原発事故を伝え続けようとするとき、写真力では伝えきれない被災者の心を伝えたいとの思いで写真詩集「なじょすべ」が出来ました。
明日は我が身に降りかかるのが国策のツケ。
「悩むこころに 沿うてくれ
オレたちに 欲しいのは
痛みを 分かつ こころだよ」(「なじょすべ」から)
山本宗補
主催者あいさつ
2014年からつづけてきた「3・11写真展」は、7回目を迎えました。今回は、新型コロナウィルスの感染が拡がる中での開催となりました。この困難な中での皆様のご来場に、心から感謝申し上げます。会場内は「新型コロナウィルス感染防止対策」に書いた通り、できる限り感染防止に努めていますが、ご来場の皆様のご協力をお願いいたします。
さて、今年の写真展『なじょすべ』は、原発事故後、被災地福島で出会った二人の芸術家、詩人・関久雄さんと写真家・山本宗補さんの画期的な共同作品です。
どうか、福島のいまをつづる詩人の声に、耳を傾けてください。写真家のとらえた被災者や生き物たちの姿に、眼を向けてください。きっと何かが、あなたの感情を呼び覚ますでしょう。そして「フクシマを忘れない」という気持ちを大切にしていただけば、幸いです。
2020年3月 放射能から子どもを守ろう!吉井の会
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