在日朝鮮人に対する差別と偏見
『世界』11月号の特集「入管よ、変われ」の冒頭論考は、安田浩一稿『絶望の収容所』でした。同論考は、戦後の入管施設が、在日コリアンの管理と取り締まりのための非人道的な施設であったことを、厳しく糾弾したものです。このなかで、安田氏が引用していた大沼保昭著『単一民族社会の神話を越えて』(1986 東信堂 刊)を、論考と並行して読みました。この著書の中で大沼氏は、日本社会にはびこる単一民族の神話に立脚する同化主義の発想がいかに恐ろしいものであるかを、ある朝鮮出身者の血統を引く女性の詩に見出しています。強く胸に響く言葉の塊です。記憶にとどめるため、引用しておきたい。
無題
私を生んでくれた女(ひと)は朝鮮人だった。女が私を妊んだところは敗戦国日本。女はチョゴリとチマに身を包み日本国にめまいを感じた。女はチョゴリとチマに身を包み朝鮮語しか話せなかった。私を生んでくれた女(ひと)は朝鮮人だった。
私が成長するにつれて女はカタコトの日本語を話せた。何故かそれは朝鮮語なまりの日本語。私の口からは日本語しか出てこなかった。日本人としての日本語。ごく上品な日本語。私の身を包むのは赤いキモノに白いタビ。私の口からは日本人としての日本語。私を生んでくれた女(ひと)は朝鮮人。
私が二十歳(はたち)の頃。その人は死んだ。チョゴリとチマに身を包み。いやしい朝鮮語なまりの日本語。死ぬまでいやしい朝鮮女。死ぬまで顔の皺は深く黒い。私を生んでくれた女(ひと)は朝鮮人だった。
私がお嫁にいく頃。私の口からは日本語しか出てこなかった。私の身体からは日本の香りしか匂わなかった。上品な香りしか匂わなかった。私を娶った男は私と同じ香りがした。私を娶った男は上品な日本語が話せた。私に子供が出来る頃。何故が私の口から朝鮮語なまりの日本語。何故か私の身体にはいやしい匂い。私を生んでくれた女(ひと)は朝鮮人だった。
私の子供が赤いリボンを結ぶ頃。私の顔には深い黒い皺。チョゴとチマに身を包みコトバなくして横たわる。私を生んでくれた女(ひと)は朝鮮人だった。私を妊んだ場所(ところ)は敗戦国日本だった。
(『未来』1969年11月号掲載)
« 冨岡『世界』を読む会・11月例会報告 | トップページ | 「時代の行列に参加するな」 »
コメント