富岡『世界』を読む会・12月例会の報告
富岡『世界』を読む会・12月例会が、12月20日(水)14.00-16.00時、吉井町西部コミュニティセンターで開かれた。参加者は4人。今月のテーマは、特集1「限界を生きる―超高齢社会の老後とは」から①筒井純也『家族のアップデートはいかにして可能か』と②小島美里『訪問ヘルパーがいなくなる―問題だらけの介護保険』の2論考と、③枝廣淳子『グリーン成長・脱成長・ポスト成長―何が異なり、どこへ向かうのか』だった。
Ⅰ.特集1 限界を生きる―超高齢社会の老後とは
(1)筒井純也『家族のアップデートはいかにして可能か』、小島美里『訪問ヘルパーがいなくなる』
前・後期高齢者が半数づつという参加者の語る「介護」問題は、直近まで担っていた親の介護体験と、遠からずやってくる自らの介護への希望や決意を意識した、実感のこもった発言となった。介護に対する「親」と「自分」の世代差は、何処にあるのか。「親」世代が家族による介護を強く意識したのに対し、「自分」世代は最早、家族に頼るのではなく「公」に依存するべきだ。筒井のいうケアの「脱家族化」が素直に受容された。しかし本当にそうだろうか。「家族との情緒的つながり」を希望しながらも、子どもたちには迷惑をかけず、公的支援に依存する決意が求められるのではないか。公的支援といっても、サービスを「いえ」で受けるのか「施設」で受けるのかで、だいぶ様相が変わってくる。
小島のいう「訪問ヘルパーがいなくなる」とすれば、「いえ」で公的サービスを享受することができなくなる。希望や決意にかかわらず、介護を受ける場は「施設」に限られるわけだ。小島の嘆きに共感する。「年金は下がり、物価は上がり、介護保険料や医療保険料は上がるばかりで、よほど年金額が高いか資産がある人でなければ入居費用は賄いきれない。「自宅」で暮したくても訪問ヘルパーはいなくなっているし、「どうしろ」というのか」。
Ⅱ.枝廣淳子『グリーン成長・脱成長・ポスト成長』
気候変動問題についての教科書的記述が参考になった。追っかけるのがひと苦労の新規のテクニカルターム、グ・脱・ポスト成長、プラネタリー・バウンダリー、デカップリング、ネガティブエミッション、スループット等々。
グローバル・ノースがすでに享受している「欲望」を、これ以上求めることは不必要である。それよりも脱成長論者の主張する、贅沢産業の縮小、だれもが有意義な仕事、労働時間の短縮などの方がよい、との感想が共有された。
Ⅲ.24年1月例会の予定
1.日程・場所:1月17日(水)14.00-16.00時、吉井町西部コミュニティセンター
2.テーマ:①岡 真里『この人倫の奈落において―ガザのジェノサイド』 ②駒込 武『植民地主義者とはだれか―台湾とパレスチナのいまを貫く問い』 ③福嶋 亮大『事故と故事のあいだ―膨張する中国のナラティブ戦略』 以上
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