加藤周一と読む『今昔物語集』下
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加藤周一は『日本文学史序説』で、平安時代を代表する文学作品として『源氏物語』と『今昔物語』をあげてますが、前者を「「日本化」された外来思想の枠組を用いながら、土着の感受性を、極端に閉鎖的な環境のなかで洗練した文学」と評し、後者を「土着の世界観を背景とし、実生活上の智慧を、同時代の大衆とのつながりを通して徹底させた文学」と評価しました。そこで『源氏物語』のあとは、『今昔物語』を読むことにしました。
まず、角川ソフィア文庫の『今昔物語集』を読んだのですが、それはあまりにもおもしろく、しかし掲載された話は29話とあまりにも少ないために、福永武彦訳『今昔物語』(155話、ちくま文庫 91刊)もあわせ読みました。
2枚の絵は、市場での買物風景(『扇面法華経冊子』四天王寺蔵)と鬼が出た様子(『百鬼夜行絵巻』部分・室町 写本 東北大学蔵 )を描いたもの。『今昔物語』の絵画イメージです。角川文庫本の見返し部掲載の絵を参照した。
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東アジアの近現代史を学ぶことを、定年後の読書指針のひとつとしています。勿論、日本(人)にとってのアジアの意味を理解するためです。そして中国は、朝鮮・韓国とともに、学習の中心となります。
一昨日、本屋の棚で、偶然見つけたのが、渡邊一民著『武田泰淳と竹内好 近代日本にとっての中国』(みすず書房 10/2刊)です。早速読んでみました。(写真:竹内好と武田泰淳 1975東京 筑摩書房提供)
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09年の大仏次郎論壇賞を受賞した広井良典著『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書 09.8刊)は、日本社会の未来を地域コミュニティの回復にもとめた、極めて意欲的かつ野心的な作品であり、読者にとってはすこぶる刺激的かつ興味深い本でした。社会福祉政策や都市政策において意欲的であり、文明論や哲学において野心的な挑戦を試みています。
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加藤周一は、平安時代の文学を論じるなかで、社会批判は、和歌やかな書きの物語には、ほとんどないか極めて少なく、漢詩文においてのみあった、と指摘します。しかしそれは、中国文学の一面のみをならったものであり、「政治社会の「俗」を離れて、隠棲の「雅」に就く・・・・・逃避の前提としてのみ」社会批判に及んだのだとしています。その代表的な作品として、慶滋保胤著『池亭記』(982年)をあげています。
「日本国の文人の理想の一つは、いつの時代にも、市井または山中に隠れて、悠々自適の生活を送ることであった。社会からの逃避のその独特の形式を、見事に決定したのが、「池亭記」の名文であった」と紹介します。(加藤周一著『日本文学史序説』から)
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来る2010年は、大日本帝国が大韓帝国を併合して100年目の歴史的な節目の年になります。日本にとってのこの100年は、36年間におよぶ朝鮮植民地支配(そのなかに15年戦争を含む)時代と、戦後の65年間にあたります。戦後の65年間は、朝鮮戦争と南北分断があり、日本は、その北半分とはいまだ国交はなく、南の韓国との間ですら、ここ数年の活発な交流にかかわらず、真の和解にはほど遠い感じがします。
『世界』1月号は、この「「100年」は、日本と朝鮮半島をめぐる近現代史を考えるための象徴的な時間と捉えるべき」だとして、特集「韓国併合100年-現代への問い」を掲載しています。
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昨年12月、加藤さんが亡くなられた次の日、高崎の書店で手にしたのが、この本(以下『序説』という)でした。本棚に並べたまま1年が経ったのですが、10月の定年退職を契機に、読みはじめました。200ページほど読み進んだところで、加藤さんの博覧強記に圧倒され、刺激的な言説に眠気を覚まされ、無知無学を自覚させられた私は、『序説』で取りあげられた日本の古典に、いきおい向かわざるを得ませんでした。『序説』をテキストに、古典文学を読んでいくというスタイルの読書です。
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