五味川純平著『人間の條件』を読む ― その2 ―
もう一枚の版画、浜田知明作『初年兵哀歌(歩哨)』(1954年)。銃口を喉にあて左足の親指で銃の引鉄をいままさにひこうとしている男。浜田の代表作のひとつです。『人間の條件』第三部は、満州東部国境でソ連軍の侵攻に備える関東軍が舞台になります。召集された梶が直面したのは、敵との戦闘や爆撃ではなく、軍隊内部での陰湿で理不尽な暴力の連鎖でした。徹底的に苛め抜かれた初年兵・小原は、浜田の『歩哨』の初年兵となって、自死します。
もう一枚の版画、浜田知明作『初年兵哀歌(歩哨)』(1954年)。銃口を喉にあて左足の親指で銃の引鉄をいままさにひこうとしている男。浜田の代表作のひとつです。『人間の條件』第三部は、満州東部国境でソ連軍の侵攻に備える関東軍が舞台になります。召集された梶が直面したのは、敵との戦闘や爆撃ではなく、軍隊内部での陰湿で理不尽な暴力の連鎖でした。徹底的に苛め抜かれた初年兵・小原は、浜田の『歩哨』の初年兵となって、自死します。
昨年春から始めた旧「満洲」に関する読書の一環として、五味川純平著『人間の條件』を読みました。この小説を原作とした小林正樹監督の映画『人間の條件』は、学生時代に京都の映画館で観ました。朝10時頃に始まり、途中2度の食事休憩をはさんで、夜の9時頃に見終ったことを、記憶しています。ウィキペディアによると、映画『人間の條件』は3部構成で、総上映時間9時間31分とあり、私の記憶を裏付けました。映画は終始、暗く陰鬱で、仲代達矢演じる主人公・梶の出口のない苦闘には、ストーリーの面白さ(?)に魅かれながらも、目を背けたくなるような、そんな印象の映画でした。その『人間の條件』を、ほぼ50年ぶりに五味川純平の原作で、読んでみることにしたのです。
この春以来、朴裕河著『引揚げ文学論序説』(人文書院2016刊)に啓発され、彼女のいう「引揚げ文学」を読んできました。後藤明生、小林勝、なかにし礼、そして木山捷平の諸作品です。4人の作家たちはいずれも戦後の引揚げ者ですが、後藤、小林、なかにしの三人が、植民地であった朝鮮や「満州」で生まれ育ったのに対し、木山捷平は戦争末期、40歳で単身「満州」に渡った、という違いがあります。しかし、何れの作品も、著者たちの体験を色濃く残した自伝的なものでした。今回読んだ安部公房著『けものたちは故郷をめざす』(1957/4刊)は、私小説とは違ったフィクション性の強い作品ですが、著者の幼少年期の「満州」での体験に裏打ちされ、敗戦後の元・植民者が難民化する中で、故郷として思いつづけた日本そのものを喪失する物語です。
木山捷平の『大陸の細道』は、著者の「満洲」渡航から敗戦までの体験を、主人公・木川正介に託して描いた私小説でしたが、敗戦後の難民生活については、『満洲五馬路』(68/10刊)や『苦いお茶』(63/5刊)に描かれています。このふたつの作品から、木山捷平の『満洲』における難民体験を、追想します。これらの作品でも、主人公はやはり、木川正介。
岡山県出身の詩人・作家の木山捷平(1904~1968)は、1944年の暮れ、新境地を開拓すべく「満洲」に渡ります。満洲農地開発公社嘱託として首都「新京市」(長春市)に赴任した木山は、気ままで自由な立場を享受していましたが、戦争末期になって現地召集をうけ兵役に就きます。そして敗戦後、1年ほど難民生活をつづけ、47年に引揚げてきました。
今回は、木山捷平の小説に描かれた「満洲」での終戦前後の個人的体験を追いかけ、歴史書には書かれなかった「満洲」の史実に接近したい。小説ではいずれも、主人公は「木川正介」として登場し、これらの作品が、木山捷平の自伝であることを明らかにしています。
安倍首相が「9条に自衛隊を明記し、2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と改憲派集会にビデオメッセージを寄せた日の翌日、作家・作詞家のなかにし礼さんは朝日新聞紙上で、「首相は憲法を尊重し擁護する義務を負っているのに、改正の期限を切るなどというのは大問題」だと批判しました。なかにしさんは、「戦争をしないことをうたう日本国憲法は世界一です。特に前文は人類の進化の到達点だといってもいい。世界に誇れる芸術作品」だと語りました(朝日新聞5/4)。この記事の中で、昨年発表された小説『夜の歌』のことが取り上げられ、これこそ最新の「引揚げ文学」だと思い、早速読んでみました。
朴裕河著『引揚げ文学論序説―新たなポストコロニアルへ―』で取りあげられた小林勝の作品を、読みました。朴氏は、小林勝という作家について、「植民地とされた朝鮮で生まれて、43年というあまりにも短い生涯を「朝鮮」とそれをめぐる心象風景を描くことに捧げた作家であった」と紹介します。今、この作家について論じることは出来ませんが、彼の作品で表現された植民地・朝鮮についての記憶を、いくつかメモしておきたい。
先に読んだ朴裕河著『引揚げ文学論序説』(人文書院2016刊)において、植民地や占領地における帝国支配の「記憶の風化が進んでいる今日こそ、改めて読み直されるに値する」と高く評価された後藤明生の小説『夢かたり』(中央公論社1976刊)を、市立図書館から借り読みました。
Tさんへ
その後、如何お過ごしでしょうか。
秋の寄合いの時、長年介護なさってきたお姉さんが亡くられたことや、地元では由緒ある旧家であったTさんの実家について、話されました。富士山をまぢかに仰ぎ見るTさんの実家は、貴兄の子ども時代は、両親と10人の子どもからなる大家族だった、ということでした。長兄と末っ子の貴兄との年齢差は、20歳以上離れていた。その長兄が、医者となってT家を継ぎ、現在、その息子がやはり医者として、T家の跡取りとなっている。貴兄たちが生まれ育った家は、旧家にふさわしい歴史ある大きな木造住宅でしたが、あちこちの痛み激しく、ついに取り壊すことになったと、懐古と惜別の情深く話されました。
津島佑子著『火の山―山猿記』を読んでいて、小説の主人公たちの有森家とT家とが、駿河と甲州の違いはあるとしても、「地方の旧家、大家族、富士山」という3つのキーワードで結ばれていることを発見し、これは貴兄に知らせなくては、と思った次第。