2011年7月12日 (火)

第五福竜丸展示館を訪ねる

1_p1140944_1  先週の火曜日、東京・夢の島にある都立・第五福竜丸展示館を訪ねました。道路と鉄道と倉庫からなる人工の空間に、広大な公園緑地があり、そのなかの木立に囲まれて、展示館がありました。隣りのヨットハーバーから、ここが「島」であることを納得します。
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2011年3月 8日 (火)

シンポジウム「多胡碑は何を伝えようとしたのか」

 711年(和銅四年)3月9日、現在の高崎市吉井町に、片岡郡・緑野郡・甘良郡3郡に属した300戸からなる新たな郡、多胡郡ができました。この建郡のいきさつを刻した石碑が、多胡碑です。それから丁度、1300年。一昨日、高崎市の群馬音楽センターで、多胡郡建郡1300年記念事業のひとつ、シンポジウム「多胡碑は何を伝えようとしたのか」があり、聴講しました。

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2011年2月15日 (火)

シンポジウム『新田郡衙と東山道駅路』聴講

10bun_sympo_2 2,3日前の新聞記事で知り、『新田郡衙と東山道駅路』をテーマとしたシンポジウムを聴講しました。太田市(群馬)教育委員会主催で、会場は市文化ホール。案内には、「申し込み不要・先着500名」と記されていましたが、遺跡発掘の報告会なので、そんなに参加者は多くない、と思って出かけました。豈(あに)図らんや、会場ホールには、県内外から研究者や古代史ファンが集まり、座席の八割方が埋まって熱気すら感じました。

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2010年3月25日 (木)

NHK特集 「『留用』された日本人-日中知られざる戦後史」

Photo 先週の金曜日、NHK・BS番組 「『留用』された日本人-日中知られざる戦後史」を観ました。2002年に、日中国交正常化30周年を記念して制作された、戦後中国へ留用された日本人たちの証言を記録した番組の再放送です。ここには、日中間の正(プラス)の歴史が、記録されています。日中間の交流と友好な関係が、幅広くしかも奥行きの深いものとなっていくためには、こうした歴史研究やTV番組の制作・放映は、負の歴史を記録し記憶しつづけることと同様に、大切なことだと思います。

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2009年11月 7日 (土)

中国の写真家 沙飛

Img_1  今週初め前橋で、中国八路軍の従軍カメラマンだつた沙飛(さひ)の写真展を観ました。数日前の朝日新聞に紹介記事が掲載され、沙飛(1912‐49)が中国の報道写真家の草分けであり、魯迅やベチューンのデスマスクを撮ったことを知り、是非見たいと思っていたものです。

(写真は、写真展パンフレット表紙。万里の長城での戦闘1938年)。
 

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2009年8月16日 (日)

お茶と道教

_1_2  先週の日曜日、信州蓼科に古い友人3人が集まり、40年ぶりの勉強会を開きました。幹事から与えられた課題は、90分間自由に語ること、でした。東南アジア農業を研究してきた学究の友は、スライド写真を使いながら、メコン川文明を滔々と語りました。小学校校長を務めあげたもう一人の友人は、言語学の成果を踏まえて、日本語の不思議に迫り、初老の頭脳をいささか刺激してくれました。そして私は、6種類の中国茶を飲みつつ、お茶の話をしました。
 大雨の降り続く蓼科の深い森のなかで、しばし日常と世間から離れ、老いの入口に立った男三人が、アンチ・エイジングの抵抗をはじめたのです。

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2008年11月15日 (土)

在日コリアンの証言に耳を傾けよう

  丸の内OAZOの丸善で、新書としては不似合いに分厚い本が、文庫・新書コーナーに平積みにされていました。小熊英二・姜尚中編『在日一世の記憶』(集英社新書 08.10.22刊)。在日コリアン一世52人のライフ・ヒストリーを聞き取り、記録したもの。日本の植民地となった朝鮮半島に生まれ、生活苦や強制連行・徴用などによって来日し、戦後(解放後)も日本に留まらざるを得なかった人々とその家族たちの、貴重な証言集です。在日として生きつづける人たちとともに、私も日本人の1人として、これらの証言を記憶しつづけていきたい。日本社会での多様な人々の豊かな生き方を発展させ、それが東北アジアの平和と繁栄につながっていくことを希求しながら。

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2008年6月 8日 (日)

花岡事件

P1020538  先週の日曜日、勤め先同僚の母親の葬儀に参列するため、秋田・能代市に行きました。そして、能代から盛岡へ車で帰る途中、大館市の花岡鉱山跡地を訪ねました。
 花岡鉱山は、1994年に廃坑となっていますが、それまでの約100年の間、良質な銅・鉛・亜鉛のほか金・銀の貴金属をも採掘してきた、日本でも屈指の鉱山でした。アジア・太平洋戦争末期、強制連行されてきた中国人418名が虐殺された、花岡事件の起きた現場です。写真は、十瀬野公園墓地に建てられた「中国殉難烈士慰霊之碑」です。毎年6月30日に、この碑の前で、慰霊祭が行われています。

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2008年4月19日 (土)

『火山島』から10年

Photo   私の読書史のなかで、テーマにおいてもっとも重く、分量と期間においてもっとも長く読み続けた小説のひとつが、金石範(キムソッポム)著『火山島』(文芸春秋社1983,96,97刊)でした。
 1948年、アメリカが強行した南朝鮮単独選挙に反対する「済州島4.3武装蜂起」をテーマにした小説。武装蜂起からゲリラ壊滅に至る1年間に、数万人の島民が虐殺されました。
 在日朝鮮人作家で済州島出身の金石範氏が、1976年から20年かけて雑誌に連載し、単行本の第1部(Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ巻)が1983年に、第2部(Ⅳ~Ⅶ巻)が96,97年に刊行されました。私は、この単行本を買って読みました。小説のなかの世界は、たったの1年余の時間ですが、それに小説家は20年の歳月をかけ、読者の私は、読み終えるのに13年かかりました。それから10年、今年は、済州島4.3事件の60周年にあたります。著者の金石範氏が今週、朝日新聞(08.4.17)へ寄稿文を寄せられています。歴史を記憶し続けることについて、深く感動的に語られています。全文を書き留めておきたい。 
 

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2008年2月17日 (日)

崇礼門(南大門)の焼失

  今月10日、韓国の国宝第1号の崇礼門(南大門)が、放火され焼失しました。ソウルからのテレビ報道は、多くの市民が、焼けた崇礼門を見つめながら泣き崩れる姿を映し、人々の悲しみと憤りを伝えています。それから1週間、韓国の新聞は連日、放火犯のことと同時に、文化財の保護問題や崇礼門の再建計画について、取り上げています。そのひとつハンギョレ新聞(英字版)社説が、1922年、日本の植民地政府によって壊されかけた光化門が、日本の民俗学者柳宗悦によって救われたことを、紹介しています(ウニさんのブログ『壊れる前に・・・』2/16より)。そしてウニさんは「侵略者側の体制内知識人ゆえの限界はあっただろうと思うが、植民地だった側の人たちが柳の言葉を「胸を突く叫び」として、自分たちの文化のためにあげられた声として、優しく記憶していることには、いろいろと考えさせられる」と感想を記しています。

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